義胡府国風土記~旅と外出~

5年間放置していました

台風19号ボランティア活動とその後の長野

こんにちは。

前回の続編、諏訪を後にして長野市に向かった話です。

ここ2年程で何回か長野には足を運んでいるのですが、きっかけとしては以前の投稿にもある倉敷と同様に台風被害の被災地でのボランティア活動がきっかけでした。

 倉敷の様に毎月通うようなことはなかったのですが、比較的名古屋からも近いし、趣味の輪行自転車旅で訪れるにはもってこいなのでどっぷりはまってしまいました。

 

長野市での台風19号ボランティア活動

その前に、台風の被災地の事も記しておこうと思います。

2019年の秋、台風19号によってもたらされた被害は甚大で、長野市では千曲川の堤防が決壊し大きな被害に見舞われました。新幹線の車両基地が水没した映像をニュースなどで見て覚えている方も多いかと思います。

長野ボランティア 長沼西日本豪雨のボランティア経験から単独で安価で活動できる知恵を付けていたので、思い切って現地に足を運んだ訳ですが、現地は想像を絶する惨状でした。特に長沼という地区は決壊した堤防のすぐ近くにある為、濁流によって激しく破壊されており、まるで津波被災地の様。

長野 災害ボランティア

今まで訪れた災害の被災地は、少し時間が経ってから、復旧活動の終盤に参戦という感じでしたが、今回は序盤戦。足手まといにならないか心配でしたが、序盤戦ゆえに大量のボランティアが各地から集結していてとにかく心強かったです。

 

特に長沼地区はリンゴの栽培が盛んな地域。

辺り一面リンゴ畑が全て水に浸かったと思うと、今後は以前の様にリンゴを収穫する事が出来るのか不安になりましたが、ボランティアに与えられたミッションの多くもリンゴの木の救済。

長野災害ボランティア 長沼木の幹の周りの泥をどかすだけでもリンゴの木が死ななくて済むという事で、皆で作業する訳ですがそう楽な作業ではない。

 

とにかく堆積した泥の厚みが半端ないのです。しかも粘度があるので、一度深みにはまると足が抜けなくなるほどで、あちこちでゴキブリホイホイ状態。数メートル先のリンゴの木にたどり着くまでに一苦労。流れ着いた瓦礫の中から板状のものを敷き詰めてルートを確保して作業をするという有様でした。

堆積した泥を除く作業をしていると、土中からたくさんのミミズが出てきます。本当かどうか分かりませんが、泥に覆われてしまうとミミズが呼吸出来ないと聞きました。ミミズが呼吸できないのであれば恐らくリンゴの木も呼吸が出来ないので死んでしまう…という事だったと思うのですが、一刻でも早くリンゴの木の周りの泥を取り除く事が重要で、その日だけでも何千人というボランティアがリンゴ救出作戦に従事していたはずです。

 

長野 災害ボランティア 長沼その日の作業を終え集合場所に戻る途中、四日市市のゴミ収集車が泥にはまって動けなくなっていました。我々のグループが助太刀しに行きましたが手押しではどうする事も出来ず途方に暮れていると、名古屋市のゴミ収集車が通りかかり、牽引用のロープを持っている大阪市のゴミ収集車を呼んできてくれて何とか脱出する事が出来ましたが、日本中から応援部隊が長野に集結している様はカオスでしたが頼もしくもありました。

ゴミ収集車以外にも、ボランティアセンターで誘導していた人は焼津市の方々だったし、災害時に現地で任務に当たる担当者は被災した自治体ではなく近隣の県から派遣される方が多く頭が下がる思いでした。稀に運営に文句を言うボランティアがいますが言語道断です。

長野 災害ボランティア 赤沼水没した新幹線車両基地の近くの赤沼地区でも活動させていただきましたが、こちらは堤防の決壊地点から離れているので、濁流による被害ではなく、じわじわ浸水してしまった感じです。

水没した新幹線の脇も通りましたが、かなり高い位置に停車しているのに被災しているので相当な高さまで水が来たようです。

 

長野 災害ボランティア 赤沼赤沼地区で担当したお宅は高齢のご夫妻が住む立派なお屋敷。ヘリコプターで救出された話を面白おかしく聞かせてくれたり和気あいあいとした雰囲気で作業をさせていただきました。

 てな事を書くと「和気あいあいなんてふざけてる撤回しろ」と口角泡を飛ばして追及する人もいるかもしれませんが、色々な被災地で活動して漏れなく感じる事は、被災者で特に高齢者の方はほぼ皆さん明るく出迎えてくれるという事。散々怖い思いをして苦労した後に、日本中からボランティアが手伝いに来てくれるという事は、こちらが思う以上に元気を与えるようで、明るい気持ちになるそうです。

特に高齢者の方はお喋り好きなので、色々な話を聞いてあげる傾聴活動も立派な災害援助。当時の状況を聞くのも良いし他愛もない話に花を咲かせるのも良し、その場の雰囲気が明るくなる事は決して悪いことではないと思っています。

 

因みに初めて西日本豪雨のボランティアに参加した際、被災されたお宅のお母さんと大いにお喋りして、作業もすこぶるはかどり、お互い最後に「今日は楽しかったですね」と言ってお別れした事がありました。

 

過度なバカ騒ぎは禁物ですし、全員が明るい人ではないので、空気を読むことは大切ですが、自分が被災者になった時はそういう振る舞いが出来る人間でありたいし、活動終了後に行く地元の美味しいお店の一軒や二軒くらいボランティア紹介する心の余裕は持っていたいもんです。

 

話題が台風被災地の話と・・・少し重い方に行ってしまいましたが(実はこの後の伏線だったりします)、話題を元に戻しましょう。

 

■大門前町長野市の魅力を浅く薄く紹介

長野市を改めて散策すると、とても魅力的で唯一無二な感じがする街だなーと思うので色々とご紹介。※ここ2年で数回訪れているので写真の天候や時間帯がまちまちです。

 

f:id:takagikofu:20200311110734j:plain長野市といえば何といっても善光寺で栄えた門前町

いつも賑やかな参道。小奇麗な感じですが石畳は江戸時代からのものらしいです。

 

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f:id:takagikofu:20200920065530j:plain特に参道の途中にある山門の仁王像のリアルな造形・迫力にはいつも圧倒されてしばし立ち止まって見上げてしまいます。

 

f:id:takagikofu:20210525211221j:plain善光寺の本堂。実物は写真で見るよりずっと巨大で圧倒されます。

毎朝6時頃から、お朝事というお勤めのようなものが365日欠かさず行われていて、自由に見学する事ができるので実際に足を運ぶと色々と発見があり興味深いです。

 

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f:id:takagikofu:20210525212011j:plain因みに善光寺の御本尊は絶対秘仏であり、その姿を拝むことはできません。

その代わりご本尊のお身代わりである前立本尊を7年に一度の御開帳の時にだけ拝むことが出来るようで、次回の御開帳は令和四年の4月3日から5月28日までとの事。

 

7年に一度か・・・と途方に暮れそうですが御開帳の期間が長いのが気の利く感じです。

 

個人的に善光寺の「ご本尊様は絶対に姿を拝むことが出来ない秘仏である」という言い伝えと、高野山の「空海は今も奥の院の御廟の中で瞑想を続けている」という言い伝えが大好きで、脈々と世代を超えて静かに伝承されてきた信仰の尊さが身に染みる感じがします(上手く説明できない)。

 

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絶対に姿を見ることの出来ないご本尊様に思いをはせる善光寺参り。
想像力と感受性を働かせて参拝すると、ふらっと訪れた散歩程度の参拝も尊い時間にように思えてきます。

 

もっともっと様々な魅力と歴史が重なる善光寺ですが、拙いブログで解説するのは罰が当たりそうなので興味のある人は是非ご自身で調べてみて下さい。

 

善光寺参りもいいけど、善光寺周り参りも楽しいよ

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参道から少し脇道に入ると宿坊が軒を連ねていたり、古い建造物が残っていたりと独特な雰囲気です。古くから地域に伝わるちょっとしたスポットも多く、由来系の案内もあちこちに見受けられますが、理解できたりできなかったり。

 

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門前町自体は日本中の至る所にあるのですが、長野市のように県庁所在地クラスの都市で門前町って珍しいと思うのです。だいたい県庁所在地クラスの都市は城下町や宿場町。都由来の奈良を除けば恐らく日本最大の門前町ではなかろうか。

行った事はないけど大きな街で門前町って他には成田とかが思い浮かびますが、都市としては長野の方が大分規模も大きいかと。大きな街&大きな寺の組み合わせは意外と無いかもで、そこはかとなく感じる長野の魅力や風情はそういうところかなと。

 

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城下町や宿場町には無い門前町としての落ち着きを堪能しつつ、駅の方に行くと俗っぽいエリアもあれば。

 

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お洒落なお店もあちこちあって、自転車で散策していても飽きる事の無い街。新幹線も出来て東京からのアクセスも良くなり、移住する人も多くいるようですよ。

 

■城山動物園で昭和の残り香を味わう

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善光寺の裏の方には無料で入園できる城山動物園(遊園地も兼ねる)があってお勧めです。

 

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間近から動物を見学できるので猛獣系はいません。

 

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特に猿山とアシカ(アザラシ?)はずっと見入ってしまいます。

 

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園内には昭和の残り香がぷんぷんで、懐かしい雰囲気です。

無料なので恐らく民間の経営ではないと思うのでお客さんが少なくても余計な経営の心配をしなくても大丈夫そうです。多分。

 

 ■昭和に強制送還。長野電鉄で昭和トリップ

長野市から郊外に路線を伸ばす長野電鉄

この長野電鉄の駅が城山動物園以上に昭和を引きずっていて必見です。

起点の長野駅から数駅は地下を走るのですが、どの駅も社会主義国の地下鉄のような裏ぶれた雰囲気。

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 無機質を絵に描いたような地下空間。

 

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改札口。
自動改札化で都会ではすっかり見かけなくなったスチール製の改札ラッチ

 

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丸がアクセントの出札口。

 

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令和だというのに伝言板

 

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ホームに水飲み場

奥にあるぺらぺらのベンチ、今でも備品は貴重かも。

 

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しかしゴミ一つない薄汚れた空間というのは何とも不思議だ・・・ 
綺麗に汚い。

 

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平成すらまだ訪れていないような雰囲気。

東洋人は時代を経て黒ずんだり錆びたりするもの、自然の手垢や時代の風合いのある器や建物を好んだり癒される傾向にあり、反面、西洋人は器でも宝石でもピカピカに磨いたものを好む。

てな事を谷崎潤一郎は陰翳礼讃の中で述べているのですが、この地下駅の寂れ具合にエモさを感じるのは日本人特有なんでしょうか・・・気になるところです。

 

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 ホームに電車が入って来ました。

前の駅を出たくらいからずっと音が聞こえているので、到着案内とかは不要です。

電車も古いからモーター音が大音響で響き渡り物々しい雰囲気に包まれます。

 

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「昭和」が形を変えて走って来ました。

ノスタルジックな外観の電車は東京の地下鉄の中古。

 そんな懐かしい長野電鉄に乗って郊外まで足を延ばしてみます。

 

北斎と栗の街、小布施

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 やって来たのは小布施という街。駅のホームがこれまた昭和で旅情が満ちていて素敵。

 

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小布施は栗で有名な街でもありますが目についたのはリンゴ畑の広がる光景

栗・リンゴ以外では晩年の葛飾北斎が晩年を過ごした街としても有名です。

 

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特に岩松寺というお寺にある北斎の天井画は必見なのですが写真撮影は出来ないので是非検索してみてください。「八方睨鳳凰図」という鳳凰の天井画で北斎が89歳の時に描いたものなのですが、修復などは一度もしていないのに今でも当時の鮮やかさを保ち一切色褪せておらず圧倒されます。

高頻度で住職の説明タイムが設定されているので、ふらっと訪れても十分満足できますよ。

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天井画は写真に撮れないのでもう一つの名物、岩松寺の山門の仁王像を貼っておきます。

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先ほどの善光寺の仁王像と比べるとほぼゆるキャラですが、見ていて和みますね。

 

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 小布施の中心街には北斎記念館や、名物の栗のスイーツを楽しめるスポットも多く賑やかです。

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コロナ禍ではありましたがGOTOトラベル絶賛開催中のタイミングで大賑わい。でも二週間後に長野で感染者が急増ってこともなかったので一安心でした。

北斎記念館にも行ったのですが、写真撮影禁止だと思ってカメラをロッカーに預けて鑑賞していたらどうも撮影可能だったみたいで歯ぎしりが止まりません。

 

お陰で小布施の紹介は内容ペラペラの薄いものとなってしまいましたが、伏線回収の為なのでご容赦下さい。

 

■小布施の対岸へ・一年ぶりの台風災害被災地へ。

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星印:赤沼=新幹線車両基地、長沼=千曲川決壊地点

小布施の西には信濃川が流れていて、橋を渡ると冒頭で紹介した台風の被災地、赤沼。長沼地区があります。自転車で来ているので一年ぶりに様子を伺いに行ってみました。

 

橋を渡ると先ず赤沼地区。

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大きなスーパーがありましたが、恐らく被災していてガランと抜け殻状態。

まだ営業が出来ていないようでした。

 

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活動した地域一帯は一見すると綺麗になっていました。ここは赤沼地区。

色々と話を聞かせて頂いたおじいさんの家も綺麗に片付いていました。その後問題無く生活できているかなどは分かりませんが少しだけ安心しました。

 

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水没した新幹線の基地もすっかり元通りのようでしたが、驚いたのは一年前に一面浸水した田んぼに稲穂が大いに実っていたこと。何事もなかったようにあちこちで収穫をしていました。

 

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無機質な新幹線の高架と変電施設をバックに実る稲穂。
一見、風情のかけらも無い光景ですが一年前を知っているだけに感慨深いものがありました。

 

次は堤防が決壊した長沼地区に自転車を走らせます。

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活動した場所が思い出せずしばらくウロウロしてしまったのですが、当時ボランティアセンターが開設されていた地域の集会所見つけることが出来ました。

 

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 濁流によって破壊された集会所ですが、当時もこの状態のままボランティアの活動拠点として使われていて、何百人ものボランティアや行政の担当者、サポートしてくださる地域の皆さんで溢れかえっていました。様々な人々が一丸となって活動している様が頼もしく、不謹慎な言い方かもしれませんが活気に溢れていました。

 

特に地域の皆さんは色々と大変なのにも関わらず、そんな素振りを微塵も見せず皆明るく、炊き出しの豚汁などを振舞って頂き頭が下がる思いでした。リンゴもたくさん差し入れて頂きました。

 

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写真を撮影していた地点のすぐ背後は千曲川決壊ポイント。集会所は目と鼻の先という位置関係なので激しく破壊されているのも納得。

 

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不自然な更地を見ると、かつてここには民家があったりしたのかなと思ってしまうのは東北の津波被災地を訪れた時と同じ。

自分たちが活動したリンゴ農家のお宅は残念ながら更地になっていたのですが、年末に年賀状が届き、前向きに再スタートをされたという事を聞いていたので、更地になっているという事は発展的な事なので前向きに捉えたいです。

 

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活動したリンゴ畑や周囲のリンゴ畑の殆どが青々としていたのは嬉しい光景でした。

 

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被災直後、足が抜けなくなるほど一面に泥が堆積していたリンゴ畑は被災したのが嘘のようで、リンゴも実りつつあり感動です。

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長沼地区にある「あぐりながぬま」という農協の直売所では収穫されたリンゴも売られていて、一箱購入させて頂きました。

その際に農協の人と少しだけお話させて頂きましたが、去年被災したのに翌年普通に収穫出来ていることは農家の皆さんにとっては信じがたい事であり、途方に暮れていた一年前が嘘のようで、ボランティアの皆さんに感謝しているという言葉を頂き、大変恐縮した次第。

一年前「幹の周りだけでも泥を除けばリンゴの木は死なない」と教えられ必死に作業した多くのボランティアの奮闘がこうして報われているのは本当に嬉しいのですが、遠方から参加してこの現状を知らないボランティアも多くいるはずなので、この拙いブログを通じて最後の写真と共に少しでも伝わればいいなと思います。

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 またリンゴを買いに伺います。

 

 

 

 

諏訪から長野へ 悶絶神社と絶景車窓

四つある諏訪大社の参拝を終えて長野に向かったんですが、道中の素敵な景色とか諏訪のおまけを紹介します。

 

■■参拝すると息も絶え絶え、信州のドS神社。

諏訪大社の上社本宮を参拝した後に前宮に向かったんですが、途中にもう一箇所、神社に寄っていました。普通に自転車で走っていたら通り過ぎていたと思いますが、前から歩いてきた旅人風の人が何やら携帯で見上げながら写真を撮っていたので気が付きました。

 

北斗神社

その神社。恐ろしいほど急こう配な石段が一直線に山の上まで延びていて狂気の沙汰。

逆光がひどく、しかし単焦点のワイドなレンズでは石段の壁っぷりがちっとも伝わらずもどかしいので検索して他のネット情報を参考にして頂きたい。ちなみにこの神社、北斗神社と言います。

北斗神社

写真で見るのと現地で見るのとでは大違い、ちょっと簡単に登れそうな石段ではないので、そのままスルーしようかと思いましたが、案内の看板にあった「振り返れば諏訪全体を見渡せる絶景です」の誘い文句に負け登ってみることにしました。

 

北斗神社

登ってみるとおっしゃる通り良い眺めでした!天気もいいし!

 

と文字にすると簡単ですが、実際は這う這うの体・・・ラスト10メートルくらいは四つん這いでゴールした有様でした。

体を少し前に傾けたら簡単に四つん這いになれるほど急こう配な訳で、実際壁です。

 

しかも石段のステップ幅と高さが最高に調度よくない

 

とにかく体力を消耗するように作られていて、登頂自体が荒行な感じでした。

 

北斗神社

消防のレスキュー隊員とか、自衛隊のレンジャー部隊とかそっち系の人が登るような所だと思いました。

 

北斗神社

そんな参拝難易度の高い北斗神社ですが、山頂にはささやかな祠があるのみで素朴な佇まい。祀られているのは天御中主命という神様で、どうやら北極星を司る神様のようで、北斗神社と名乗るのも納得です。

 

星を祀る神社というのは全国的に珍しいのかよく分かりませんが、夜になると北斗星がよく見えるように考えて建立されているのかもしれませんし、下から頂上を見上げた時に感じた途方もない角度と高度感も北斗星を見上げた時の感覚を意識しての事だと思うと何だか少しロマンチックな気がしてきました・・・

北斗神社

そして北斗神社は長寿の神様でもあるようです。昔の人にとって夜になると必ずそこにある星も尊いものであって、特に北斗星だけが季節に関係なく変わらず続けることを知っていて長寿の象徴として祀っているのだと思います。

 

でも実際には参拝する事で寿命が縮む思いをすることになるのですが、無事に参拝を終えられたら長生きできるような気がします。ハイリスクハイリターンな北斗神社ですが健脚自慢の方は是非参拝してみることをお勧めします。

 

■■諏訪が誇る御柱祭、川越しの地

 

御柱祭

前宮の参拝を終えて、JR茅野駅に向かう途中にお洒落な展望台のようなものがあったので「八ヶ岳を望める展望台か?」と思い登ってみました。

 

御柱祭

確かに八ヶ岳はよく見えるのですが、中央道が目の前を横切り電線もあったりしてそこまで良い眺めではない。

御柱祭

御柱祭

よく見ると下を流れる川の護岸が整備されていて、ここは有名な御柱祭で唯一御柱が川を越える“川越し”を行う地であった。案内の看板も設置されていました。

 

御柱祭は個人的にとても興味がある祭りで、今回も資料館のようなものがあれば見てみたかったのですが、事前の調査不足もあり資料館がそもそもあるのかも知らず、あっても時間が押していて行けなかったと思うので、通りすがりで実際に御柱祭の舞台を見ることが出来てラッキーでした。

 

御柱祭と言えば御柱が斜面を下る木落が有名ですね。その会場だけでも見てみたかったのですが、どこにあるかよく分からずでした。でもどうやら下社と上社でそれぞれ2か所あるようですね。

 

御柱祭

前宮のお茶所にあった写真ですがこれは下社の木落し、滑り落ちていく距離が長くスピードも出るので迫力満点。「これこれ!ニュースなどでよく見かける奴」って思った人も多いかと。

 

御柱祭一方こちらは上社の木落し。「そういえばこれもテレビで見たことある」って素人みたいな感想なのですが、何となくいっしょくたになっていた御柱祭は下社と上社で違う特徴がありそれぞれ独立して行われていたのですねー。知ってたような知らなかったような知識がはっきりしてすっきりしました。

 

上社の木落は下社に比べて下る距離や角度が緩やかみたいなのですが、御柱にメドテコと呼ばれる角がカスタムされて高さがあるので、距離は短くともその分危険、勇壮さは下社にひけをとりません。むしろ横転した際のリスクなどを考えると下社よりもこちらの方が度胸がいるような気もします。

 

www.youtube.com

 

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映像などで見ると、下社の木落しはシンプルで荒々しく勇壮な雰囲気。疾走感があります!上社の木落しは会場にラッパや太鼓の音が響き、華やかで勇壮な雰囲気。御柱の力強さ印象的!どちらも生で観ることが出来たらさぞ圧倒されはず。

 

下社と上社で「我々の方が凄いぞ!」ってライバル意識とかありそうですが、どっちも素敵です。

 

以前仕事でお世話になった諏訪の方から少しだけお話を聞いたことがあるのですが、とにかく御柱祭について話すときはイキイキとしていてうれしそうだったのが印象に残っています。個人的に日本の祭りに順位や甲乙を付けるのは野暮なことで、全ての祭りが日本一だと思うのですが、御柱祭は数えで7年に一度しか開催されない。それだけに諏訪の人々がこの祭りに懸ける思いや情熱は溜まりに溜まってすさまじいものがあるように感じます。死ぬまでに一回は見てみたいのですが、それまでにちょいちょい足を運んで諏訪の人と仲良くなれればいいなともくろんでおります。

 

■■日本三大車窓姨捨からの絶景。

松本で昼食でもと思っていましたが、諏訪で時間を要したので今回はスルー。そのまま長野行きの列車に乗り換え姨捨に向かう事にしました。

 

 姨捨(おばすて)は標高500Mの山腹に位置した景勝地。悲しい姨捨山伝説が伝わる地域ではありますが、現在では美しい棚田が広がり、長野市が広がる善光寺平が一望できるそれは素敵なところです。

 

姨捨駅

そんな絶景を存分に堪能したいのであればJR姨捨駅で降りるのが手っ取り早いです。

 

姨捨駅

ホームが絶好のビュースポット。ここは日本一長めの良い駅ではないかと思います。

ベンチも通常とは反対向きです。

 

因みに姨捨の車窓は日本三大車窓の一つに数えられ、日本の鉄道に於いて屈指の眺めの良い区間となっています。まるで空を飛んでいるかのように列車は走り抜け、居眠りしている奴は片っ端から起こしたくなります。

 

姨捨駅

ホームから、これから向かう長野市を一望。中央に流れるのは千曲川で、この一帯を善光寺平と言いますが、平野部を〇〇平という名付けて呼ぶのは長野特有でしょうか。他にも佐久平、塩田平、木島平など・・・

 

ちなみに姨捨(おばすて)という地名はこの地に伝わる下記の伝説が由来。

 

昔、信濃の国に年寄りの大嫌いな殿様がいた。彼は、70歳になった老人は山へ捨ててくるよう国中におふれを出した。ある月明かりの夜、一人の若者が年老いた母を背負って山に登って行った。彼の母親は70歳になったので山に捨てなければならなかった。

 

現代では考えられない悲しい言い伝えですが、最終的に“隣国からの攻撃を、山に捨てた高齢者の知恵で未然に防いで、殿様は考えを改めた・・・”というややハッピーエンドな一面もあるので、ただ単にお年寄りを大切にしましょうねという教訓譚かもしれない。ただし地域に言い伝えられている伝説は、何かしらの事実に基づいているケースがほとんどなので、高齢者を捨てるまではいかないまでも、悲しい歴史がベースにあるのかもしれないです。

 

姨捨駅

絶景のJR姨捨駅はスイッチバックの停車駅という特徴があります。これは乗って来た長野行きの電車。写真奥から到着してホームに止まっています。

 

姨捨駅

長野行きの電車が出発しましたが、やって来た方向にバックして戻って行きました(ホームにある突き出た展望台から撮ってます)。

 

姨捨駅

しばらくすると、もう一度方向転換をして長野に向けてホーム下にある線路を下って行きました。

 姨捨駅に停車する普通列車はこうやってジグザグ上に走って勾配を登って山を越えて行きますが、通過する特急や貨物列車はジグザグしないで一直線に山を越えて行きます。よく見ると二つ前の写真の左には姨捨駅には入線せず下の線路を真っすぐ進む特急が写っています。

しかし数百メートル進むだけでこれだけの高低差。車だと問題無い角度ですが、鉄道にとってはかなりの急勾配です。

 

姨捨駅

このような複雑な運転形態になったのは蒸気機関車の時代の名残で、非力な蒸気機関車では勾配の途中に駅を設置してしまうと出発できなくなるから。現在の鉄道車両では恐らく問題無く登坂できるはずですが、姨捨のもう一つの名物として広く知られています。

 

自転車を広げて、駅から少し走ってみました。

姨捨駅

姨捨駅

姨捨駅

美しい棚田が広がる素晴らしい眺め。

昔ながらの農村の風景と眼下に広がる近代的な街並みの対比が素晴らしい。

 

悲しい言い伝えがある姨捨ですが、今ではとにかく景色の良いところです。

夜になると夜景もさることながら、観月の地、月の名所でも名高い地でもあります。

 

本来であれば、せっかく自転車持参の輪行旅でもあるので、姨捨から自転車で下っていく予定でしたが、諏訪で時間を要しすぎたので、1時間ほどウロウロして大人しく次の電車で長野に向かいました。

 

長野市編に続く。

 

 

久しぶりの輪行で諏訪湖、諏訪大社など

こんにちは。

この夏、自転車を新しくしたので久しぶりに輪行活動が活発になりつつあります。

かつては「遠くに行ってこそ」とばかりに、北海道や沖縄にも飛行機で輪行していましたが、回数を重ねるたびに自転車が痛み、航空業界の預け荷物取り扱いの闇が透けて見えそうだったので、やっぱり無難に鉄道利用、現在は県内~隣県くらいの範囲で走っています。

輪行とは自転車持参で公共交通を利用する旅スタイル。自転車は必ず専用のバッグに収容する必要があります。

 

birdy classic 知多半島

8月に愛知県内は知多半島に走りに行ったのですが、暑すぎてコロナ以前に熱中症で死んでしまいそうで、涼しくなるのを待って今回は長野に向かいました。

 

◆◆地図では上、諏訪大社下社に行く。

 

下諏訪駅

最終的な目的地は長野市ですが、先ずは諏訪湖周辺を軽く走って向かうことにしました。やって来たのは下諏訪駅。涼しい。

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相変わらず何も調べず向かったのですが、さすがに諏訪大社があることくらいは知っていますし、上社・下社に分かれている事も知っていました。でも地図で言えば上(北)にある方が下社だという事は把握しておらず、さらに下社が秋宮と春宮に分かれていることは知りませんでした。

 

因みに上社が本宮と前宮に分かれているのは何となくは知っていました。つまりは諏訪大社って【下社=(秋宮・春宮)】【上社=(本宮・前宮)】の四つの神社に分かれていて、諏訪湖の北と南に分かれて鎮座しているのですね。

 

諏訪大社下社

諏訪大社下社

先ずやって来たのは下社の秋宮。諏訪大社は四社ともそれぞれ個性があるのですが、いずれにも共通しているのは比較的市街地に立地していてコンパクトであるという事。伊勢神宮熱田神宮出雲大社のように厳かな参道を暫く歩く・・・というようなスケールではなく、鳥居をくぐると割とすぐに社殿があります。

 

諏訪大社下社

その中でも下社秋宮は宿場町の中にありながらも緑に囲まれているので落ち着いていて、四社の中では最も凛とした雰囲気に感じられました。これは神楽殿というそうですが、本殿の様に立派です。

 

諏訪大社下社

諏訪大社といえば御柱祭。山から切り出され曳かれてきた巨大な御柱が次々と急な斜面を下る「木落し」など、日本でも屈指の勇壮さと熱狂ぶりを誇る祭事。その御柱は各社の四隅に建てられていて、もちろん秋宮でも見ることが出来ます。この左側にも一本、見えませんが拝殿の奥にも対で2本建っています。

 

諏訪の象徴でもある御柱はこの地で暮らす人々の矜持や自尊心のようなものが形となり静かに聳えている・・・そんな感じがします。

 諏訪大社下社

奥に楼門のような立派な拝殿があります。先ほどの神楽殿で引き返さずこちらで参拝しましょう。

 

◆◆下社秋宮とそっくり春宮

秋宮の次は春宮に向かいますが、隣接しているものだとばかり思っていたら1キロは離れているとの事。歩きであれば想定外の1キロは中々荷が重いけれど、今回は自転車なので気が楽。

下諏訪の街

中山道の宿場町沿いを行けば到着するようでしたが、しっかり道を間違えてしまい、宿場町の古い町並みを味わう事は出来ず。その代わり下諏訪の街を見下ろす中々景色の良い道を進むことが出来ました。

 

諏訪大社下社 春宮

下社の春宮は、参道が山に突き当たったその麓にあり、そこまで大きな社ではありませんでした。小さな街には一つくらいはありそうな神社のような感じですが厳かな雰囲気に格式の高さを感じます。

 

秋宮と春宮は同じような造りで、拝殿の前に神楽殿があり重なりあっています。秋宮同様に神楽殿が拝殿かな・・・と思って参拝すると「裏にもっと立派な社があるぞ」ってなります。秋宮・春宮に関しては同じ図面で計画されたのではないかと言われているので、構造は同じ、差異は彫刻に表れているような事がHPに記載されていました。

諏訪大社下社 春宮

手前に見えるのが神楽殿

 

諏訪大社下社 春宮

楽殿の奥に拝殿

秋宮とそっくりな社殿の配置を備える春宮。

 案外スペースの関係で・・・って事かもしれませんが、お賽銭を2回徴収出来る可能性が高まるので、増収に効果のあるしたたかな意図がこの配置にはあるのかもしれません。 他にもいろいろと特徴的な様式があるようですが、無計画に軽い気持ちで立ち寄ったのでその辺りはまた機会があればじっくり見てみたいと思います。

 

◆◆下社から上社へ諏訪湖沿いを走る

birdy classic

諏訪大社下社はコンプリートしたので、上社に向かいますが、ここからが輪行の本領発揮。下社まで諏訪湖沿いを自転車で向かいます。

 諏訪湖

諏訪湖

諏訪湖は穏やかな湖です。四方を山に囲まれた土地にぽっかりと大きな湖があるのは何とも不思議ですが、この地方の人々が抱く諏訪湖への畏敬の念が諏訪大社を祀り、独特な祭事や神事を生み出したのではないかと勝手に思っています。古事記などを読むと諏訪の地は古代の早い時期から神々の争い事の舞台となっているので、きっと有力な豪族がこの地を治めていて、他所者から見ると豊かで手に入れたい土地だったのかもしれません。

と。物思いにふけりながらのんびり走っていましたが、下社から上社までは10キロ近くあります。距離的には何て事ないのですが「昼までに四社すべて参拝できればいいな」という甘い見込みだったので、思ったより時間がかかりそうです。

 

予想外だったのは湖岸の快適そうな周回路は自転車乗り入れ禁止だった事。割と控え目な標識なので脇道から侵入してしまい、何百メートルか自転車走行禁止レーンを走ってしまいました。仕方ないので車道を走って上社に向かいますが、湖周りを自転車で走る場合は反時計回りがお勧めです。時計回りだと道路を挟んで湖を眺めるので景観の面でもイマイチだし、湖岸に出るのに一旦道路を横切らないといけないので何かと面倒。今回は時計回りルートだったので、景色よさそうなポイントでは横断歩道まで行ってしっかり信号を待たなければならず少々煩わしかったです。次回は反時計回りで。

 

◆◆地図では下社より下、諏訪大社上社【本宮】に行く。

諏訪大社上社本宮

それでも1時間ほどで上社に到着しました。こちらは北参道。周囲はどこにでもありそうな街並み。栄えてるでもなく辺鄙でもなく。

 

しかし一歩足を踏み入れると、さすが諏訪国の一之宮、しかも本宮を名乗るだけあり堂々として厳かな雰囲気です。

 

突き当りの石段を上ったところが拝殿などがある拝所になるのですが、上社本宮の社殿の配置は全国的に見ても珍しいそうです。一般的な神社の配置は参道か鳥居の正面に本殿なりが正対してあるケースが多いと思うのですが、ここ本宮は参道や鳥居と正対しておらず、参道から直角に左に曲がったところに拝殿がある配置になっています。上の写真で言うと左側に参道が突き当たっている感じとなります。

 

でも何も知らないで行って「この神社変わってるな!!」て思う人はまずいないと思うし、「言われてみれば・・・」ぐらいにしか感じませんでしたが、色々と後になって調べているとこの配置が何となく謎めいた感じがしてくるのです(少し伏線)。

 

諏訪大社上社本宮

 拝所の奥にある立派な拝殿。これまた貴重な本宮固有の造りとなっていてその建築様式は「諏訪造」と呼ばれているそうですよ。

 

当初はこの立派なものが本殿だと思いましたが、よくよく調べてみると、諏訪大社の上社本宮には御神体が無く本殿というものは設けられていないとの事でした。では本宮では何を崇め祀っているのかというと、背後にそびえる守屋山が御神体であるという説もあれば、諏訪出身の神職に就く人物(偉い人)を現人神として崇敬していた時代もあったとの事でどうも定かではない。そもそも守屋山が御神体だったという記録も一切無いとの事だし、非常に謎めいた歴史があるようです。

 

この時少し違和感に感じたのは、拝所で参拝する方向が御神体説のある守屋山の方を向いているのではなく、守屋山を右横に見て参拝しているようなポジションだった事。所説はあれど御神体=守屋山であれば、拝殿は山を背にして建ち、参拝者が守屋山に正対するのが自然なのではと思いました(少し伏線)。

 

※ここまで書いといて分かった事ですが、下社の秋宮・春宮も本殿というものが無いようで、諏訪大社は調べれば調べるほど奥深い沼にはまりそうです。諏訪大社と一言に行っても実際には四つの個性の異なる神社を包括した総称のようなもの、隙間時間に軽い気持ちでちょっと立ち寄るだけでは何も理解できないのは当然で、改めてじっくり諏訪大社を見て回りたくなります。そして簡潔に書くの難しい!!

 

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拝所の脇には工事中のエリアがあり、そこには拝殿に沿って続く長い回廊があるようでしたが、残念ながらどのようになっているか伺い知る事は出来ませんでした。古くは最も位の高い神職に就く人しか通れなかった回廊との事。やはり色々と独特な習慣が社殿の配置に見て取れるようで興味は増すばかりです。

 

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本宮の次は前宮に向かいますが、もう一つある参道から続く道の正面には八ヶ岳がよく見えました。これも後から分かった事ですが、脇道然としたこの通りが実は本宮の表参道だという事で再び違和感を感じました。

 

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表参道とは、神社仏閣の参道のうち、主に正面に位置するものとありますが、この参道を進むと本宮の拝殿の後方に突き当たる形になり後正面に位置します。表参道にしては不自然な取り付け方に思うのですが、よくよく思い出すと拝殿で拝んでいた方向は八ヶ岳を向いています。

 
御神体が境内の背後にある守屋山とする説がある中で、拝む方向には守屋山が無く、その先にあるのは八ヶ岳。表参道も八ヶ岳へと続くように引かれている。勝手な思い込みかもしれませんがこの「向き」が違和感を覚えるのです。

 

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沖縄で見かけた神事

少し話が反れますが、沖縄では社殿も御神体も無い拝所で海に向かって礼拝する神事がとても多く、これは海の幸に対する感謝である事はもちろん、海洋民族である祖先が渡ってきた方向、自分達のルーツである方向を示していると言われています。それ以来、拝む「向き」には秘められた大きな意味があると思っていて、それは本土でも変わらないのではと思っています。漁猟採集でルーツが海洋民族である沖縄の人達は海を向き、狩猟採集・農耕民族である本土の人々の多くは山の方向を向いて拝む。

 

特に本殿や御神体の無い自然崇拝などの古い信仰形態が残る諏訪大社のようなケースではなおのこと参拝する向きに大きな意味があり重要だと思うのですが、本宮の独特な配置に八ヶ岳が与えた影響が少なからずあるんじゃないかと思えてくるのです。

 

色々と調べ尽くしてこの記事をアップしたわけではないので、現地の詳しい人からしたら適当な見解だと思われるかもしれないけど、実は御神体八ヶ岳であったり、八ヶ岳を信仰していた時代があったのかもしれない・・・等々、社殿の配置一つで色々と想像が掻き立てられ、とにかく奥深い神社であると感じました。

 

機会があれば詳しい方とこの地を廻ってみたいものです。

 

※毎度毎度、簡潔に書こうとしているのですが、後になって色々と調べると次々と事後発見があり、内容がグダグダになってしまいます・・・文才のある人ってすごい。

 

 

◆◆諏訪大社の異端児、野趣溢れる諏訪大社上社【前宮】

いい加減長くなってしまいましたが、最後に前宮がまだ残っています。

諏訪大社上社前宮

前宮は本宮の南に位置し、自転車でもすぐに到着しました。名古屋起点だと最も奥

に感じますが、東京起点だと諏訪大社四社の中でも最も手前、先ず最初に前宮になります。四社には社格の差異はなく、参拝の順序なども特に決まっていないとの事ですが、本来であれば前宮から参拝するのがセオリーなのかも、名前からして。

 

この前宮、これまでの三社とは明らかに様相が異なります。

最初の鳥居をくぐると自然地形をそのまま利用したような感じで、整えられた厳かな参道を進んだ今までの三社とは異なりどことなく無秩序な雰囲気です。

諏訪大社上社前宮

  二つ目の鳥居のあたりは神社然としていますが、今までの三社のような絢爛な雰囲気はあまり無く、いい意味で枯れた雰囲気が漂っています。ここに社務所や授与所があり、拝殿などは鳥居をくぐってもう少し進みます。

 

暫く斜面の道を登って行くと本殿があるのですが、前宮に本殿はあります!

 

STAP細胞はあります!みたいになってしまいましたが、前宮の本殿はちゃんと本殿で、他の三社のように「実は本殿じゃないよ」ではありません。しかも鎮守の森のような繁みの中にあり、周囲に溶け込んだ野趣あふれる独特な造りになっています。

 

前宮本殿は周辺の山林と神域を遮るものが無く、斜面の道端に突然本殿が鎮座しているような感じです。本殿を囲む四本の御柱も道端に建っていて、四社の中で唯一、四本の御柱全てに触れる事が出来るんだそうです。

 

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本殿前はただの田舎道で参道兼生活道路といった感じ。すぐ近くには集落もあり、社格の高い一之宮でこのような開けっぴろげな境内は珍しいなーと思うのですが、色々調べてもこの造りに関して言及しているものが少なくて意外な感じです。ただ、この辺りは古くから諏訪で最も綺麗な水が流れている地であるとの事なので、その関係でオリジナルの地形を活かしたまま現在に至っているのかも知れません。

 

※もっと全体の雰囲気が分かるように撮りたかったのですが晴天時の午後の前宮は逆光がきつすぎて本殿側を広角に撮影するのが難しいです!

 

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 すぐ近くまで家が建っていて、境界も曖昧な前宮からの眺め。

 

前宮があるこの地は諏訪の神様が最初に居を構えたという言い伝えがあり「諏訪信仰発祥の地」とも言われているので前宮の歴史自体は本宮よりも長いようなのですが、かつては単に本宮の境外摂社という位置づけだったらしく、現在の「本宮に対しての前宮」と格付けされたのは明治になってからのようです。要するに諏訪大社は昔から上社と下社で「二対二」だったのではなく明治半ばまでは上社は一社のみ、近年になって毛色の違う異端児的な存在の現前宮がランクアップし諏訪大社ファミリーの仲間入りをしたという事だそうです。

 

しかし、前宮こそ古い信仰形態がそのまま残っているような感じで、前宮の方が本殿や御神体が無くてもおかしくないような感じがします。

 

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そんな独自進化を歩んだ前宮。素朴で商売っ気もなく、神社施設以外なにもありません・・・と言いたいところですが、本殿のすぐ手前に最近できたばかりっぽい綺麗な芝生広場があり、お茶所も完備されています。

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最も古色蒼然としていながら実はアフター参拝が充実しているのは前宮。神仏習合ではなく新旧習合といったところですが、ポツンと置かれたカボチャの置物がどこぞのアーティストの水玉の奴でも違和感がない雰囲気です。

 

意外と自由主義な側面もあるようですが、お茶所では地域のおばあさん方がワイワイと働いていて対応もとても気持ちよく、伺えば色々と地域の話なども聞けたかもしれませんがコロナ禍でもあるので今回は飲食だけして後にしました。

 

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御朱印も頂いた

 これにて諏訪大社の四社をコンプリートした訳ですが、神社って現代人からするとご利益ばかりが注目されて、へんてこなスピリチュアル性を期待されがちですが、ひも解けば、かつてその地で暮らした人々の思想や信仰、生活様式が見え隠れしていてどこか謎解きのような感じがします。特に諏訪湖周辺の謎解きゲームは複雑で難易度が高そうです。

 

今回はあまりにも軽い気持ちで訪れてしまったので(いつもそうだが)、機会があればじっくりと見て回りたいと思います。名古屋からもそう遠くはないので、近いうちにもう少し予備知識を得て再訪出来ればいいなと思います。