素敵なSHIMANAGASHI 波照間島2014
今年もマイルの消滅期限がやってきて、1年9カ月ぶりに波照間島に上陸して参りました。
前回訪問時の様子はコチラ
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◆◆1年9ヶ月前と特に変わらない島の光景
もはや書き記す事もないほど訪れているので、どこかで見たような手垢の付いた写真ばかりで内容も薄めですが、相変わらずの美しい景色が早くも懐かしく感じられます・・・さすがに前回とはあまり変わった様子はありませんでしたが、これでも初めて訪れた14年前と比べたら若干発展しています。
7月のこの時期に上陸するのは初めてで「梅雨明けのニシハマの海の青さはやばい・・・」と以前聞いた事がありましたが、それも納得の美しさ。
ただ晴れれば通年でこれくらい美しいような気もします。
目新しい島の変化も特になくぶらぶら散策してもいるのはヤギくらい。
彼らは延々と道路上を逃げてしっかり交差点で曲がっていきました。
ただの雲や電信柱でさえも絵になる離島の不思議な力。
最南端のいじられキャラ“イチ”も元気そうでした。(前々回訪問時、イチとの釣り対決)
宿泊したのは日本の宿泊施設の逆頂点に君臨する名宿たましろ(今回はここしか空いてなかった)。
たましろでは宿泊費を支払って快適さを手放すという斬新な旅スタイルを体験する事が出来ます。食事の際等は様々な年代&キャラクターの人々との間で社交性を磨き、対人関係の構築力も鍛えられます。宿主の玉城さんのホスピタリティー精神の98%は食事のボリュームに捧げられ、居住性への関心は僅かだけど、この宿を愛する旅人は多く、お金では得られないプライスレスな何かを求めにやって来ているように思います。
今回は戦争を経験している年代なのにウィンドサーファーでカッコいい九州男児のお爺さん(流暢な久留米弁)と一緒で大いに刺激を受けました。とてもざっくばらんな性格で人生を謳歌するには楽観的である事が大事だと改めて思わされました。腐ったヤシの実を拾ってきても全く気にしません。
しかし、いつ来ても安定しているたましろのガラクタっぷりは保全状況も良好で近い将来の世界遺産登録も夢ではないといった感じでした。たましろに泊まるようになって10年目ですが、散らかりっぷりは10年来変わらずで、これ以上にもならないしこれ以下にもならない。因みに室内はそんなに散らかってないのでご安心を。
とはいえ宿泊したのはいつもの別館。本館から歩いて2〜3分のところにあって、建立された年代は不明です。
本館が小奇麗に感じるほどの佇まい。最近流行の古民家風とかあまっちょろいものではなくただの古民家。
初めて島を訪れた際に“寂れた雰囲気がなんともいえない空き家だ”と思わずシャッターを切った事があるのですが、ここが宿泊施設だとつゆ知らず、今ではそこに宿泊しています。
一見ダウナーな感じですがただ寝起きするだけだし、日ごろから無頓着で非潔癖症な自分にとってはこれで十分。決まった時間に食事も出るし、世界一奇麗な海で泳ぐことが出来るし、最高に自由な服役生活を送っている感じでした。
◆◆星になったタマワゴン
スペースシップのようなたましろ送迎用ワゴン(通称タマワゴン)。
しかし残念な事に翌日突然に動かなくなり、上の写真は恐らく生前最期の姿を捉えた写真となってしまいました・・・・内外ボロボロになるまで使われて、数え切れない程の旅人の思いを乗せて走り続けた“タマワゴン”。亡くなる前日に奇麗な姿を撮ってあげれて、少しは弔う事が出来たかもしれません。
そんなつかの間の島時間。滞在中は一切冷房に当たることがなく体が熱をおび、石垣島で久々に冷房にあたった際に快楽物質が大量に分泌されるのを感じました
暑くてちょっとまいりりそうになって“もう暫くは来るのやめようかな”と思ったりもしましたが帰宅してみるともう既に懐かしく思います。
恐らく8度目の訪問もあるかと思いますが、次回は風の心地よい日に狙いを定めて訪問しようかと思います。
3年ぶりの石巻での一日
長期的&継続的に被災地支援を行っている愛知県ボランティアセンターの活動に参加して宮城県石巻市に行って来ました。
被災地を訪れるのは震災四ヵ月後の2011年7月以来の二回目。しかしその際は次第に復旧が進みつつあった観光地を敢えて観て回るという目的で訪れたので津波被災地には足を運ばず、松島や平泉を観て周り青森まで行き、帰りに石巻で笹かまぼこを買って帰るという行程でした。物見遊山に被災地に足を運ぶのは躊躇われたので、そういう行程にしたのですが東松島市で甚大な被害に見舞われた野蒜地区の惨状を目の当たりにして途方に暮れたあの時がほんの数ヶ月前の事のよう思い出されます。
それ以来、いつか再訪して何かしらの支援活動なりに携わりたいと思いを抱いておりましたが3年の月日が経ってようやく実現する事が出来ました。全車中泊、片道13時間のバス移動を伴う0泊3日の強行軍で写真も作業の合間や移動中に撮影した雑なものしかありませんが書き記しておきたいと思います。
◆◆門脇地区で見た光景◆◆
愛知ボランティアセンターが活動しているのは宮城県石巻市の十八成浜(くぐなりはま)という小さな入江にある集落なのですが、十八成浜に向かう前に石巻市の市街地に近い門脇という地区に立ち寄りました。見渡す限りの更地が広がっており、これから工業団地の建設でも始まる臨海地区のような雰囲気ですが、3.11以前、ここには多くの人々の生活があった訳です。
この地で多くの方が亡くなり、反面多くの方が助かった。戦場でもない、普段何気なく生活をしていた街での無情な仕打ち。このような悲惨な状況が震災後、青森から千葉県までの沿岸部のいたるところで起こっていたかと思うと改めて東日本大震災の被害の大きさを思い知らされます。前回、東北を訪れた際、一山越えた向こうの街ではほぼ日常を取り戻しつつある格差に、感じた事の無い心苦しさを覚えましたが、実際に被災した地区を足を運んでみると、一山どころか曲がり角一つの差で生死の分かれ目が存在しているようでいたたまれなくなりました。
門脇地区における津波は6.9メートルだったようでその高さを示す表示がありました。ニュース等で見聞きして、家々を飲み込む津波の高さについてはある程度は理解しているつもりでしたが、実際に現地においてその高さを示されるとただただ唖然とするばかりで、足がすくむというか、首を上に向けたまましばらくその場を動くことが出来ませんでした。遠く離れた地でテレビやパソコンの画面超しに見る事で知った津波の恐ろしさよりも、実際に自分のいる空間に於いて、遥か頭上に到達した津波の高さを示される事の説得力の異常なまでの強さは忘れる事が出来ません。
◆◆十八成浜でのこと◆◆
震災から3年が経ったとはいえ、実際に被災した地で活動を行うという事で、振舞い方や感情のあり方について不安を覚えていた初参加のボランティアも多くいたかと思いますが、十八成浜の皆さんは笑顔で出迎えて頂き、幾分不安も和らいだ方は多かったと思います。地区の集会所に移動し簡単なミーティングを終えて作業に取り掛かりますが、参加ボランティアは主に3つの班に分かれて活動を行いました。
○昼食を作り仮設住宅の皆さんと食事をする活動
○仮設住宅以外も含めた十八成浜地区全戸を訪問する活動
○主に力仕事の何でも屋的な活動
ざっくりした説明ですがこの3つの活動をしています。
自分が参加したのは三番目の力仕事。以前は瓦礫処理等が主な活動内容だったようですが、現在は地域に様々な木々を植樹して十八成浜を桃源郷のようにしようというプロジェクトのお手伝いが主な活動内容となっています。
十八成浜地区はかつて美しい砂浜で有名で、宮城県でも名の知れた海水浴場だったようです。また鳴き砂でも有名であり「クックッ」と砂が鳴るから九+九で十八成浜となったと言われています。景勝地として賑わい発展してきた地域であった反面、海沿いの集落としては稀な漁港を有しない地区であったとの事でした。
それじゃぁ瓦礫処理が終わったら砂浜を復元して海水浴客や鳴き砂目当てに訪れる人を受け入れる事の出来る本来の姿に戻せばいいのかと思うかもしれませんが、残念ながらそうはいきません。
何故なら、砂浜は震災による地盤沈下によって消滅してしまったからです。
漁業等で栄えた地区であれば関連施設の復旧を行うことで、元の姿に近い形の復興は出来るのだと思いますが(それはそれで困難ではあると思いますが)、人々が集まることで繁栄してきたといえる十八成浜地区では、瓦礫処理が終わり更地のようになってしまった現状では、そもそも復興させるものが無いという現実があります。津波に流された場所には家々を建てる事が出来ない訳で、肝心の砂浜も無くなった・・・・つまりは誰も来ない街になってしまったと言う事です。更には地域の高齢かも深刻で、誰も来ないうえに、将来的には誰もいない街になってしまう危険性も抱えているのです。
現地の方とも色々お話を聞かせて頂いたのですが、人の気配が無くなると言う事を本当に深刻に捕らえているように感じました。印象深かったのは一面更地となった十八成浜の街を月に数回訪れる名古屋からのボランティアがただ歩いているだけで嬉しいという事をおっしゃて頂いた事。到着後のミーティングで「来ただけでボランティア活動の9割は達成したと思ってください」という言葉もかけて頂いたのですが、それは安易な歓迎の言葉や労いではなく、かつて海水浴客や鳴き砂を目当てに訪れる人々によって栄えてきたこの地において、人の気配というのがこの地ではいかに大切であるかを意味しているのだと思いました。
しかし、砂浜を復元するには恐らく行政やら復興予算だとか難しい方々の知恵に頼らないといけない訳で、現状、力仕事班のボランティアは先述の桃源郷プロジェクトのお手伝いです。植樹を予定している箇所にある倒木の処理等、工程的にはまだまだ初期の段階ですが、多いとはいえないボランティアと現地の方々で協力し倒木を運んだりしていました。
将来的には桜や梅、様々な木々を植える事で、多くの人々で賑わう花の名所となる事を現地の方々も望んでいるようです。仮に桃源郷のようになったとしても人々が集まるのは短い期間に限られます。継続して人が定住するような地区になるのが最も理想なのですが必ずしもそのようになるとも限りません。ただ、砂浜を再生する計画もあるようなのでもしかしたら春には花の名所として、夏には海水浴場として、3.11以前よりも人々が集まるようになるかもしれませんし、このボランティアに携わった人の中からこの地に移住すしようと思う人も現れるかもしれません(超理想)・・・
まぁそこまでとは言わないまでも7000人という名古屋周辺の方々が震災直後からこの地でのボランティアに携わっている訳で、毎年多くの人々が再訪するのでは?と思いますし、そうなって欲しいですね。
理想的な将来像を思い描いて、今が一番楽しい時期だ!と思われる方ももしかしたらいるのかもしれませんが、何もしないと確実に街は死んでしまう訳です。仮に誰も住まない街になってしまったとしても、春になると数千本もの桜の木が咲き乱れ、その時だけでもかつての住民の方が集い、話に花を咲かせられるような美しい街に最低限なってほしいと思いますし、その為に今後も継続して応援して行く事は必要でないかと思いました。
今回あまり写真は撮っていないのですが少しだけ十八成浜の光景をご紹介
牡鹿半島は震災後、アメリカ側に5メートル移動し1メートル近く陥没したそうです。先にも述べましたが砂浜はその影響で沈下しほぼ消滅してしまいました。沈下した分海面が近くなってしまった訳ですが、堤防の整備は中々進まずに今でも土嚢が堤防代わりです。
山の斜面から運び出した倒木を、軽トラで処分しに行く際に色々と現地の方々話を聞いたのですが、海に注ぐ小さな川に掛かる橋はかつて水面まで3〜4メートルまであったそうですが、今では橋げたが水面に付きそうなまでになっています・・・話で聞いた橋は上の写真の橋とは違いますが、恐らくこの橋も同程度沈下してこの状態になったと思います。
海を見下ろす白山神社。社殿までは津波は到達しなかったとの事で、何十メートルもの地点まで津波が遡上した他地域に比べたら十八成浜の津波は大した事がなかったと皆さんおっしゃっていましたが、それでも海沿いの建物はほぼ流されてしまった訳ですから喜んでいい話でもありません。沖合いにある網地島という離島が津波の力を幾分和らげてくれたそうです。
午後からは仮設住宅に伺ってお年寄りの方々と交流させてきましたが、狭い仮設住宅で暮らす人々が求めているのは笑顔であり、最も避けたいのは高齢者を孤独にさせると言う事だと思いました。瓦礫の処理が終わり、仮設住宅の建設も終わった今、ボランティに出来る事はかなり少なくなってきていると思いますが、高齢化が進む被災地に於いてはメンタル面での支援というものが今後も継続的に必要であり、現地に行ってお年寄りと食事をして会話をする・・・それが例え月に数回の活動であっても、一日中に狭い仮設住宅で更地となった故郷を見下ろして暮らす人々にとっては必要であるという事でした。
非常に短い滞在で、移動時間の方が遥かに長い強行軍でしたが、活動を終えて感想を述べ合った時に「楽しかった」というボランティアが多くとても印象に残りました。それは被災者の方も同じで、ボランティアが来てくれる事を楽しんでくれているようでした。震災直後のボランティア活動は過酷で、絶対に楽しかったなんて言えなかったかと思います。しかし様々な区切りを迎える度に活動内容は変化し、人々の心の変化も相まって、お互いに笑顔で行えるボランティア活動もあるのだと思いますし、このようなレールを敷いてくださった関係者の方々の努力には頭が下がります。
実際には全ての人が笑顔ではなく様々な温度差も存在するかと思いますが、本当に十八成浜が美しい街へと復興して欲しいと思います。故郷が美しく復興する事と人々の心が満たされ豊になる事がイコールの図式で成り立つからだと思うからです。
阿部邦子さんという十八成浜在住の作家の方から、自身の体験談を聞かせて頂いたのですが「生きて」という亡くなった方々の叫びともいえる言葉が忘れられません。十八成浜にはこれから何度も訪れる事になると思います。それはボランティアとしての再訪かもしれませんし、いつか桃源郷のように美しくなった十八成浜を見たくてかもしれません。しかしそれまでには最低でも生きていないといけません。
次に訪れたとき、今回のように十八成浜の皆さんはきっと笑顔で迎えてくれると思うのですが、それも生きていればこそ。
生きていれば再訪できて再会できる・・・当たり前の事ですが、とても尊い事だと思いました。
今後どれだけ頻繁に伺えるかは分かりませんが、長いスパンで支援活動に協力できればいいなと思います。
http://aichiborasen.org/ 愛知ボランティアセンターHP
小牧、犬山周辺のB級世界遺産を巡る・・・
こんにちは。
名古屋の冬は皆さんが思っている以上に寒さ厳しいのですが、太陽は燦燦しているので「自転車乗りに行こう」と勇んで外出すれば、想像を上回る極寒っぷりに泣きそうになります。そんな中、頑張って名古屋周辺のB級スポットを自転車活動の一環として巡って来ました。
◆◆小牧ビンビン物語〜田縣神社〜
最初に紹介するのはこの辺りでは大変有名な田県神社。愛知県の小牧市にあります。
前々から噂には聞いていたのですが、立地が思っていた以上にロードサイドな感じで、この後紹介する珍百景っぷりを思うととても意外でした。駐車場もしっかりあって、正月もとっくに過ぎたというのに賑わっている・・・人知れず早朝にこっそお参りしようと思っていたので、ちょっと動揺しました。
すぐ横はスーパーや住宅街に隣接しているので、どちらかというと風情にも乏しい神社になぜそんなに動揺するかというと・・
少し奥にある社のご神前に奉られているものが立派すぎてお見せできないからです。
しかも見渡せば辺りに立派なものがいくつもあり、思わず両手で顔を覆い、その隙間から頬を赤らめながらこっそり覗いていました。
しかし、これではこれらが神前に奉られた由緒あるものが下卑たものであるかのような印象を与えてしまう・・・でも、拙ブログの最大の読者層でもある花も恥らう乙女達にこんなリアルで立派なものを見せていいものかとも思う・・・・
「でも紹介したい」としばし葛藤し、考え付いた表現手法。
ご本尊はキノコだと思えば、ちっとも卑しい感じがしないから不思議です。
ちなみに田縣神社は弥生時代にまでさかのぼる程の歴史があり、古来より男茎形(おわせがた)←きのこのことです)をお供えする風習があったそうです。見たまんまで、子宝、安産の子孫繁栄、商売繁盛にご利益があるそうですが、性教育に限って言えば学問の神様も兼ねるかもしれません。
社の奥に小さな石室みたいなのがあって子供達が覗いている・・・
玉玉と小ぶりのキノコがあって、さすってお賽銭を入れろということらしい
中にも立派なキノコが勃っていて、子供達が「これ何〜」と聞くも少し距離を置いたお母さんが「さぁ〜」と気の無い返事をしていた。
お母さんこれは「キノコ」だから安心してください!と、言ってやればよかったかもしれませんが、大人の方がドギマギしてしまうのも分かります。
「男子はその雄大な形相に益々発奮して仕事に励み、女人はひそかに伺いみ願いかければ良縁を得る、また子宝に恵まれる・・・」との事ですが若い女性やカップルなんかも秘かにといった感じではなく、割とカジュアルな感じで皆お参りしていました。この辺りでは普通な事なんでしょうねー
休憩場があって中に豊年祭という田縣神社の大祭の模様を写した写真が展示されていたのですが
刺激が強すぎて、周辺にお住まいのお子様の情操教育上心配でなりません。
この幟なんて“モロ”です。
デフォルメという概念を誰か教えてあげて!
しかし中日新聞や地元TV局はこの祭りをニュースで取り上げれるのでしょうか?とても気になる田縣神社でした。
【補足】
田縣神社の近くには大縣神社と言って、田縣神社の女性版もあるみたいです。詳しくは知りませんがキノコではなくもっと女性を象徴するものが奉られているのだと思います。更に間々観音という日本で唯一の乳の寺もあるそうで、小牧周辺は日本でも屈指のセクシャルスポット充実エリアです。
◆◆岡山県に宣戦布告〜桃太郎神社〜
先ほどの田縣神社のある小牧市のお隣、犬山市に向かいます。
一般的には明治村や日本モンキーパーク等で有名な街。
そんな犬山市の木曽川沿い、日当たりが悪い立地にある突っ込みどころ満載の神社が桃太郎神社。
参道脇にはお馴染みの桃太郎キャストが武装して待ち構えています。
犬は噛み付いたり、キジは口ばしで突いたりするのが小さい頃読んだ桃太郎でしたがしっかり武装しています。
鳥居から本堂までの階段にも登場人物が多数お出迎えしてくれます。
何だか廃人のように目が空ろ。
「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」
それは「泣いた赤鬼」
階段を登りきると成長した桃太郎が鬼まで従えお出迎え。桃太郎成長して華の無い顔つきに・・
もう悪さはしませんと、泣いて詫びる鬼の涙で出来た池がありました。
本堂前にも犬、猿、キジ(とにかくメインキャストが何回も登場します)。
その本堂の反対側、淫靡な感じの桃型アーチの向こうには桃太郎にまつわる様々なアイテムが展示されている宝物館というスポットがありますが、宝物館前のエリアにも雑で統一感の無い桃太郎キャスト達が「さぁ突っ込んでくれ」とばかりに待ち構えています。
桃太郎神社、かなりの突っ込みカロリーを消費しますので、体力に自信のある方は是非行ってみて下さい。
◆◆住宅街に鎮座する巨大仏を見に行こう。
犬山の南隣にある江南市の街角に大仏が建立されていて、B級スポット好きは必見です。
恐らく日本の大仏中で最もケーシー高峰に似ている。
江南市の布袋にあるので布袋の大仏といわれています。なんと奈良の大仏より2メートルも高くて、日本一と説明に書いてありました!(本当か?)
しかもこの大仏は神社仏閣のものではなく、個人の方が全てが手作業で作られたんだそうです。名古屋で鍼灸医を開業していた人が、夢のお告げがあって建立したんだそうですが、鍼灸医が建てただけあって、大仏なのに治療院も併設しているという驚きの構造。
すぐ近くのアパートの一角にあった接骨院との関係が気になるところです。
しかし、普通の住宅街の一画に大仏が鎮座しているのは何ともシュール・・・・
でも、窓を開ければ大仏という浮世離れな環境はちょっと羨ましい。
因みにすぐ脇を名鉄が走っていて、大仏の最寄り駅は名鉄犬山線の布袋駅になるのですが
布袋駅の隣の駅は石仏駅というので紛らわしいです。
石仏駅で降りても大仏は無く、布袋駅で降りれば布袋様ではなく手作り大仏に会えます。
このアクセスの紛らわしさもB級スポットに相応しいのかもしれません。
終わり