日本は糸を作る事で発展した・・・事を知る旅(富岡製糸場)

今年の年末年始は寒かったですねー

こうも寒いと行きたくなるのが世界遺産暫定リストに登録された富岡製糸工場ですよね。

という訳で行って来ました。群馬県です。


途中、長野県木曽谷周辺は雪化粧でしたが



久々に訪れた群馬県高崎市は晴天でした。


高崎からつぶらな瞳の電車に乗り換えて富岡市に向かいます。



降り立ったのっは上州富岡駅。渋い雰囲気の駅。



富岡製糸工場は駅前から1キロほど歩いて行きます。
知らない街を歩く事に楽しみを覚える安上がりな性格・・・・


しばらく歩くとレンガ造りの富岡製糸場が見えてきます。


入館料を払って進むと、子供の自転車が無造作に乗り捨てられていてこれから世界遺産を目指すような雰囲気はまるで感じられない・・・




入ってすぐの所にあるのが東繭倉庫という建物です。
全長が100メートル近くありコンパクトカメラでは全貌が撮れない・・・・一眼レフを持ってくればよかったと後悔。



 

東繭倉庫は内部が資料館として公開されています。昔の写真なんかが展示されていました。

忘れていましたが富岡製糸工場をざっくり説明するとですねー

明治5年に完成した日本の工業近代化を支えた工場・・・といったところでしょうか。
ざっくりしすぎてるので詳しくは追々説明して行きます。



東繭倉庫の奥には西繭倉庫があります。規模は東繭倉庫と同じですがやはりこちらも全体が収まらない。富岡製糸工場はコンパクトカメラ泣かせなので行ってみたいと思った方は広角レンズがあった方がいいですね。



東と西の繭倉庫の間の空間・・・・



煙突・・・・

地味すぎる。地味っぷりが評価されての世界遺産なのか!?と思わずにいられない。

このまま帰ろうとも思ったけど、わざわざ来た訳だし何かもったいないので

ボランティアのガイドの方に付いて見て回ろうツアー(仮)のようんなものに参加してみました。



2009年最終営業日に集う製糸オタ達・・・・


最初に見た東繭倉庫を再度ガイドさんと見る。


ガ「この倉庫は木骨レンガ作りですねー」
ギ「もっこつ・・」

木骨(もっこつ)という響きに萌えるギコフwith製糸オタ達。木骨なんて初めて聞いたかもだ。ガイドさん曰く構造が木骨だからこそ今でもこうして現存してるんだそうです。

ギ「なるほどねー」


良く考えれば木骨とは木造の事だから何もスゴイ事ではないのだが木骨+レンガの合わせ技となると貴重な技術らしい(白い柱部が木骨)


ちなみにレンガの積み方は縦横縦横・・・でコレが2層になっているので壁の厚みもかなりあるみたいで頑丈なんだそう。


ちゃんと説明聞きながら見て回ると色々発見がありそうな予感がしてきた。



この建物は明治天皇伊藤博文ら明治の要人が訪れた時に使用する貴賓室があったそうです。

たかだか糸を作る工場に天皇やら総理大臣が訪れるほど明治政府が富岡製糸工場に力を入れていたのは何故かを簡単に説明すると・・・

江戸時代の鎖国によりあらゆる面で立ち遅れていた日本は、諸外国と対等な立場になる為に産業・文化の近代化は急務であり資金も必要でした。その為、時の政府が力を注いだのが当時の最大の輸出品であった生糸を大量且つ安定に生産する工場を建設する事だった訳です。ただ大量に生産するだけでなく品質向上、技術指導者育成の見本を示す必要もあり最新式製糸機械を備えた模範工場としての使命も兼ね備えていたそうです。

富岡製糸工場は国家の繁栄を左右する重要な工業拠点だった訳ですねー

ちなみに生糸は輸出品の70%を占める時代もあったそうです。超基幹産業だった訳ですね。



この建物はブリューナ館。指導者として雇われたフランス人ポール・ブリューナが家族と暮らしていた住居です。この建物も木骨レンガ造りで、後に建物は工女(従業員)の読み書きや和裁を教える夜間学校として利用されていたそうです。



こちらの建物もフランス人女性指導員の住居として建設されました。当時の日本には無い建築様式が見られ大変貴重なんだそうです。

このようにフランス人技術者の力を借りて建設され稼動しようとしていた富岡製糸工場は工女募集の通達を出してもなかなか人が集まらなかったそうです。それは、フランス人の飲むワインが血と思われ「外国人に生き血をとられる」というデマが流れたためでした。政府はこれを打ち消すのに躍起となりましたが結局操業が3ヶ月ほど遅れたんだそうです。

ちょっと前までチョンマゲの時代です。きっと宇宙人がやって来た位のインパクトがあったんだと思います。



次に向かったのが繰糸場という場所。この建物、写真では全く分からないのですが富岡で最長の140メートルもあります。繭から生糸を手繰る作業が行わていた場所です。

当たり前のように説名してますが生糸の原料はは蚕の繭です。蚕はざっくり言うとイモムシですね。



照明も発達していなかった時代なので採光の為に多くのガラス窓が取り付けられているのが特徴です。


内部は一切の柱の無い構造になっています(敢えて明るく撮ってます)
これはトラス構造という従来の日本には無い建築工法だそうです


梁が2列になっているのも大変特徴的です。

この工場では長らく生糸の原料となる繭を蒸気で煮ていた訳で、建物内は相当湿っぽい状況だったでしょう。にもかかわらず木材で組んだ梁がびくともせず現存しているというのは本当に良く考えて建設されているんだなと思う。何でも丁寧にペンキを塗っているのが長持ちの秘訣なんだとか。

この施設は明治に建てられたとは思えないほど内外的によく工夫されていて、西欧と日本の建築技術が見事に融合されています。


語り合うガイドさんと熱血製糸オタとの熱い議論で建物内部は操業時と変わらない熱気が充満している!(嘘)

その後もガイドさんの深イイ話は続く・・・・

ガ「この工場も本来なら取り壊されていたのかもしれません」

ガ「当時の経営陣がこの富岡の価値というのを大変良く理解されていて、どうしてもここだけは残したいという事で操業停止後も大切に保管していたのです」

ギ「いい話・・・・」

ガ「その後、国史跡に指定され、建物一切を富岡市に寄贈、国指定重要物価財となり世界遺産に指定されようかと言うところまで来ている・・・」

ギ「ナイス先見の明。もしかしたら取り壊されてイオンとかになっていたかもしれないと思うと当時の経営陣の判断は素晴らしい!」


とまぁこんな感じで“富岡製糸工場的深いい話”を聞くことが出来たのですが、その後ガイドさんが何気なくおっしゃた一言が実に興味深かった。



ガ「今この工場に保管されている糸を作る機械は日産自動車が作った機械です」

ギ「日産!」

ちょっとビビっと来ました。

ガ「現在の日本の発展を支えた産業の一つに間違いなく自動車産業は外せないと思います。しかしトヨタやスズキといったメーカーは製糸と非常に似た産業である紡績の機械を作る事から発展していき日本を支える企業となりました。あまり知られていないけど日産もかつては製糸産業に進出した時期があったんですね。このように日本の屋台骨を支えてきた企業の多くがかつては糸を作る事から始まった訳です。その原点がまさにここ富岡製糸工場で、日本のあらゆる工業の源流を辿ればこの地に辿り着く訳ですね」

ギ「何となくただ建物が古くて貴重だから世界遺産的に捉えていたけど、日本の全ての工業の原点がここ富岡だと思うと実に意義がある!工業国日本の発展繁栄のスタートはここ富岡から糸を作る事から始まったのか」

それまでのギコフの富岡製糸工場のイメージは「社会の授業で殖産興業を習った時に必ず出てくる」「明治時代の古い建物が貴重」「日本で最初の製糸工場」とあくまで製糸業として古い歴史があるのだと思っていたけど、そうではなかったんですね。

そしてもう一つ興味深かったのは、当時富岡には機械を動かす為の蒸気エンジンがあったそうなんですが、その蒸気エンジンは鉄道が開通するよりも僅かに早く稼動していたそうで、日本の産業革命の象徴である鉄道開通よりも富岡製糸工場が僅かですが先を行ってたという事に非常にロマンを感じました。

ギ「日本で最初で開通した鉄道の跡なんてこれっぽちも残ってないけどここはほぼ同じ時代に出来たのに殆ど残ってるもんねぇ〜そう思うとすごいなー」

ガイドさんの興味深い話は更に続きます


ガ「明治時代の製糸工場というと田舎から出てきた幼い女性が過酷な労働を強いられていたというイメージがあるかもしれません」

ギ「そう思っていた」

ガ「実際に過酷な労働条件の製糸工場もありましたが、ここ富岡では8時間労働の日曜日休みを日本で最初に取り入れた工場なんですね。今当たり前のように日曜日休んでると思いますがそれは富岡製糸工場が始めた事です」

ギ「何気にすごい」

ガ「他にも先に紹介した工場の建物を使って夜間学校を開校したのは企業内教育の先駆けだし、現在の日本の労働体系や福利厚生の礎を築いたのも富岡製糸工場なんですね」

何だかこの工場の成功のお陰で今の日本人の生活があるんじゃないかとさえ思えてきた。さっきまで地味だ!なんて思っていたけど外見よりも内面に秘められたところに富岡製糸工場の価値はあるんだなー・・・

さっさと帰らずにガイドさんの案内を聞いて回って良かったつくづくそう思う。

ちなみに現在でも稼動している製糸工場は2件しかなく、かつて国を支えた一大産業もいまでは伝統産業のようになってしまい、この1世紀の時代の推移には感慨を覚えずにいられません。


他にもこの工場には一般公開していない当時の先鋭的な技術の名残や施設多く存在するのですが、自分が見て回った施設は以上と言ったところです。

拙い説明で上手く伝わったかは分かりませんが、富岡製糸場の日本史上の価値は疑うべきもありません。しかし“世界”遺産と認められるだけの価値があるのか「欧州から遠く離れたサムライの国が工業化に成功したシンボル」であるという点が各国にどう認められるかが非常に重要だと思います。



明治初期の日本の意気込み、その後1世紀にも渡り現役で稼動し続け携わった全ての人々の汗や苦労や喜びが染み渡ったこの施設が近いうちに晴れて世界遺産に登録される事、富岡の人々の努力が功を奏す事を祈りながら工場を跡にしました。




今では鄙びた感じの富岡の街だけど、世界に誇れる工場が脚光を浴び再び栄える事になればいいですね。



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高崎まで戻る電車待っている最中。昔実家のすぐ近くにとても小さい糸工場があったのをふと思い出した。
おばさんが一人でやってる小さい工場でたぶん生糸ではなかったと思うけど、少しだけ空いた工場の扉の奥でガチャガチャと糸を作る機械が一日中回っていて田んぼを挟んでその音は家まで聞こえてきていた・・・・

初めて訪れる群馬の片田舎でこの国が“糸を作る”事で繁栄した事を知り

己の幼い頃の記憶にも“糸を作る”音と光景が確かに存在した事を思い出す。

なかなかノスタルジックな経験でしたよ富岡製糸工場!


明日は東京に向かいます。