義胡府国風土記~旅と外出~

5年間放置していました

目に見えないものを見る・・・久高島の魅力とは

こんにちは。

今回は過去最強にマニアックで堅い内容なのですが興味のある人は読んでください。



ちなみに今回訪れた久高島の場所はこんな感じです



◆◆琉球王国の原点を歩いて辿ろう


斎場御嶽から(前回参照)歩いて15分ほど行くと安座間港という港があります。
久高島へはここから船で15分ほど。


実は久高島に訪れるのは約4年ぶりなんですが
前回は天気も芳しくなく、持参した自転車に乗って島の最北端の岬まで行ったもののそこで大雨に打たれ、泣く泣く港まで帰ってきたら、船会社の人と思われるおじさんに

「このまま島に残ったら午後の船は欠航になって帰れなくなるね」と言われ、滞在45分、さっき乗って来た船の折り返し便でUターンをした苦い思い出があります。


今回はそれ以来の訪問ですが残念ながら今回も天気が悪い。
(さっき行った斎場御嵩がある知念半島は海を挟んですぐそこに見える)

以前別の島でたまたま食事の席で隣だった旅人に久高島に言った際に注意すべき事を聞いていた事があります。


一つは島に着いたら神様に自己紹介と挨拶をする

もう一つは自転車で回らない

その人は島に着くなりどこからともなくオバァがやって来て、お告げのようにそう言われたんだそうです
※久高島に頻繁に訪れている知人でも上記の様な事は言われた事が無い人もいるので、単なるオバァの気まぐれなのかもしれない。そもそも自転車が駄目と言ってるもののレンタル自転車屋が複数存在するし、信じるか信じないかはあなた次第ってやつですね

自身は“信じても損は無いと判断”神様に自己紹介しに港の一角にある御嶽へ向かう


すると岩陰からいきなり神様が登場。猫でした。
※この間やってた世界不思議発見(沖縄特集だった)ではこの御嶽ではなく別のところで神様に挨拶するのがしきたり・・・みたいな事を言っていた。でも場所は関係なく“心の中で神様に挨拶すればいい”と言う人もいるみたいで正直何が正しいかよく分からんのですが、それだけこの島には神様が身近な存在なんだというのは分かって頂けるかと・・・


集落に行くと何とも自身ありげな貸し自転車の案内がある・・・
でもオバァのお告げを尊重して今回はずっと歩いて島を回る事にします。


久高島は島の北側は神の領域琉球の始祖神アマミキヨが島の北側からやって来たと言われる)

東側は太陽が昇る“生”の領域(砂浜が広がり五穀の種が入った坪が流れ着いたと言われる)

西側は太陽が沈む“死”の領域(久高島はかつて風葬であり死者は西側に葬られた)

そして南側は人々の暮らす領域・・・とざっくり4つに別れていると言われています。

特に北側は神事の際は男子禁制になる事もあるそうですが、先ず島の最北端まで歩く事にします。


◆島の最北端、カベール岬に行こう



いざ出発!と勇んでみても、集落を抜けるとこんな感じで何も無い。
歩いても歩いても本当に何も無い。

沖縄の離島に行くとたいがいどの島に渡っても“何も無いな〜”って思うもの。
波照間も黒島も与那国も、サトウキビ畑があったり道端にヤギがいたり牛がいたりと・・・何も無いなりに“沖縄的要素”があちこちにあったけど、久高は素朴。



サトウキビ畑も無いし牧場も見かけない。ただ道が真っ直ぐ続くのみ・・・道端で繁茂している植物は確かに亜熱帯な感じで“沖縄にいる”という事は十分に感じる事は出来るのだけど


それ以外は本当に何も無い。



30分程歩いたでしょうか、島の最北端であるカベール岬に着きました。

遠くには勝連半島かな、賑やかな本土の街並みを近くに眺める事も出来るので八重山の離島を訪れた時のような“果てに来た”感は薄いんだけど、この岬は沖縄、琉球王国を語るには欠かす事が出来ない場所。

それはアマミキヨという琉球王国を造ったとされる神様が海の彼方からやって来てここに辿り着いたとされるから(一時住んだとされる)。



そんな神聖な場所であるカベール岬であるがご他聞に漏れず何も無い・・・
神殿も祠も無いし、説明の看板も無かったと思う。


本土だと神様は天から垂直に降りてくる神話や言い伝えが多いと思いますが
琉球神話では神様は海の向こうから水平にやって来たとされ、水平線の向うにニライカナイ(豊穣や生命の源とされる異界・理想郷)があるとされ信仰の対象になっています。



確かに去年竹富島で見た神事でも海の向こうを拝んでいた・・・

これは遙か昔に南太平洋を黒潮に乗って北上して来た海洋民族がウチナンチュー(沖縄の人)の先祖である事をアマミキヨ伝説として伝えている為だとか。
祖先である海洋民族の世界観がこの島には凝縮されているんですね。

言われてみれば・・・程度の事ですが、確かに本土では海の向うを崇拝する文化は薄く、神社とかってだいたい内陸や山の上にあって、神殿等を拝む際は先ず海を背にしている気がする(本土で海に向かって行う祭事っていったら寒中水泳くらいしか思い浮かばない)。





◆斎場御嵩以上の聖地、絶対行けないフボー御嵩&イザイホー

言い伝えではアマミキヨはカベール岬から南に向かい先ずフボー御嶽を造ったとされています。


来た道を戻ると島の中央部にそのフボー御嶽はあります。
といってもここは御嶽の入口で下のような注意書きが↓




奥にある円形広場は※イザイホーフバワク行司等のな祭事の祭祀場となっており、人々にとって最高の聖域です。何人たりとも、出入りを禁じます・・・とある。


フボー御嶽に足を踏み入れる事が出来るのは神職に携わる一部の女性のみなんですね(立入れる時代もあったそうです)。御嶽内の事はうかがい知る事は出来ないけど茂みの中にそこだけ日が差し込む円形のスペースがあって、石と香炉が置かれている・・・ただそれだけらしい。

久高島だけでなく沖縄で最も神聖で大切な場所と言われるフボー御嶽も何も無いただの空間なんですね。


※イザイホーとは


“久高島と言えばイザイホー”と行っても過言ではない12年に一度行われる島の信仰を語るうえでとても重要な儀式。

簡単に言うと「島で生まれ島の男に嫁いだ30代以上の女性が、一般の女性から神女としてタマガエー(魂替え)を行う儀式」

しかし現在はその資格を満たす者がおらず、1978年を最後に行われていないそうです。残念な現状ですが、かつて久高島の女性の多くは神に仕える神女であった訳です。

神女と言っても、普段は主婦として家庭を守り、祭事の際に色々と司るというスタンス。

今回はそういう人と接する機会は無かったけど、道ですれ違ったおばさんがそういう身分の人だったかもしれない。というか年配の女性は殆ど神人なんだと思う。


宿に併設された資料館にイザイホーの段取りの説明があったんですが


<中略>エーファイを唱えながら庭に飛び出して右回りに7回旋回
<中略>久高ノロ一行と合流して御殿庭に疾走
<中略>ナンチュは神アシャギの中に駆け込む

とまぁ、疾走したり駆け込んだり大変そうです。


http://www.kagakueizo.org/2009/04/post-94.html
こちらで大変貴重な1978年のイザイホーの映像が見れるんですが、古代宗教の神事を今に伝えると言われるだけあってとても神秘的というか不思議な祭りです。

重ね重ね残念なのは継承問題・・・この間イザイホーを懐かしんで涙するオバァの映像をテレビで見た。開催しようにも対象となる女性がいない現実、1978年に神女となった女性でさえ既に高齢化しておりこの祭事を後世に伝える事を出来るかも問題。

次回イザイホーを行うなら2014年。対象者があってこその神事だけに現状では行えない訳ですが、復活に向けて取り組み中という噂も聞きます。どのような結論になるのかとても気になります。


イザイホーもそうですが、全ての神事を女性が行うこのような母系社会は南洋諸島の漁労採集社会で生まれたとされ、祖先が遙か彼方からやって来た海洋民族である事を裏付ける事であると宿で読んだ本には書いてありました。

この習慣・風習が琉球王朝成立後も母方の血を重んじ、女性を神との媒介と考える制度として沖縄では守られて来た訳ですね。

斎場御嵩もフボー御嵩も男子は入れないというのはこういった民族的な風習が背景にあったという事です。

かつて久高島では男は長い間漁に出かけ、その間女は子供を産み、神人として男の安全を祈ったとされる。神は妻となりは母となり祖母となり全てを守る。死後も島の御嵩や家々の香炉に宿り今度は子孫を守るとされる・・・

その信仰には建物も無ければ経典のような書も必要無く創立者もいない。
神となった女が子孫と島を守り、残された者は祖先と島の御嵩を崇拝する。


その繋がり、そのサイクルがこの島では古代から脈々と続けられて来た・・・

そのサイクルは大げさな宗教に発展する事もなく、島を守る女性を中心にひたすら家族と島の安泰だけを祈って来た・・・

ただそれだけなんだと思う。

それ故に何も無いし、何も必要が無いんだろうなと思った。

敢えて夢のない例えをさせてもらうと

神殿とか造ろうにも島の資源なんて限られてるだろうし書き残す媒体がなかったからかもしれないし、沖縄本島を含めても結局は外洋の小さい島であり、そういう風習・信仰を他の地域に布教する術も充分でなかったかもしれない・・・

刀の変わりに三線を持ってたような民族だから、そういう野心的な事を企てようなんて思わなかったのかもしれないし。



五穀の種が流れ付いたとされる伝説がある砂浜。

ウチナンチューのルーツとなったされる海洋民族には、島の人口が増えると食物の種子を積んで新たな島を目指したと言われており。この伝説も祖先の命がけの航海を後世に伝える為のメッセージなのかもしれない。

久高島の信仰は荒ぶる海を乗り越えてこの地に辿り着いた祖先の偉大な功績を称え語り継がれて来たものが琉球神話となり、信仰として形を変え受け継がれて来た。

本土の農耕民族にはない、海洋民族の誇りのようなものがこの島の原点になっているんだろうな。

目で見て回れば本当に何も無い島だけど、この島ほど目に見えない何かで溢れている島は他には無いと思った。


◆◆久高島あれこれ

難しい話が続きましたが、最後にゆるい感じで島で見た光景とかUPしますね。


島の西側にロマンスロードという何とも甘酸っぱいネーミングのスポットがあるので行ってみたらロマンスの神様がドンびきしそうな程、非ロマンスな感じだった。


でも晴れた日に来たら海は絶対に綺麗なはず。

 

島の西側にもちょいちょい島の祭事に使われるスポットがあるんですが、あまり良く調べてなく、後で“あそこは男子禁制だった”とか知ると嫌なのでちょっとだけ足を踏み入れて何となく怖くなって帰ってきたりとか、結構びくびくして歩いていた。

風葬してたところだからね・・・迂闊にウロウロしてそういうところに出たら嫌だし。



久高島は猫がいっぱい。


人工衛星みたいな木が植えてある家。



ふらりと入った島の食堂では何だかお菓子みたいなのを作って笹の葉っぱみたいなので包んでいて聞けばムーチーというお餅の様なものらしい。

調度この時期にムーチーを食べる習慣があるみたいで、正月の餅、月見の団子みたいなものだと思う。おばちゃんに「古くからある民宿に泊まれば貰えたのに」て言われ、ムーチーにはありつけずでした。


今回は詳しい説明は省きますが島でとても重要な外間殿と久高殿

ざっくり言うと“ノロ”という琉球王朝で神事を司る神人の実家というか生家らしい。

もちろんノロは女性で、外間殿は外間ノロ、久高殿は久高ノロの実家みたいなもんですかね。久高島のノロは外間さんと久高さんの二つの系統があるみたいで、この場所も様々な神事で使われるんだと思います。

ただその重要っぷりの割に建物はすごいさっぱりしていて最初は“公民館か集会所かな”程度に思えなくて写真も適当にしか撮ってなくて、久高島通が見たら“そこが重要だろ”と一喝されそう。


こんな感じの短い久高島訪問でしたが、今回も天気が崩れる恐れがあったので予定を早めて帰る事になってしまいました(一泊はした)。

娯楽も無い島で、天気も芳しくなくどうて撮っても写真は地味だったけど
想像力がこんなに膨らむ島は過去になかったと思います。


何も無い中に何かがある事を感じる感受性があればこそこの島の良さは分かると思うんですが、自分にはまだまだそれが足りない。

様々な原点が詰まった島への三度目の訪問をいつか実現させたいと思いました。

全ての人にお勧めは出来ませんが本当に素晴らしいところだと思います。


興味のある人は是非!