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今こそ行こう東北!〜弾丸ツアーで行く兵どもが夢の跡〜

連休が取れたので東北に行って来ました。

東北では今尚多くの方々が耐え難い生活を送っている訳ですが、周辺の観光地では着々と復興へ向けて歩み始めています。今だからこそ東北に足を運ぶことが復興支援の役にたつのではないかと思い、相変わらずの弾丸日程(2日間)で行って来ました。


◆◆東日本フリーパスで行こう東北!

普段、連休ってのが殆ど無い生活を送っているので二日休みが続いたらどっかに行きたくてしょうがなくなります。かなりカツカツな行程になるのは承知の上だったんですが、どうせお金を使うなら東北で使うべきだと思いJR東日本の東日本フリーパス(1日1万円で東日本のJR乗り放題!特急も!)を使っての弾丸ツアーは始まりました。



朝の東京駅。



東北は3度目なんですが、過去2回は日本海側からスタートし海岸沿いをぐるっとトレースするルートでほぼ一周。東京から北上するのは初めてで、白と青じゃない新幹線に乗るのって非日常な感じ。

日本全県行った事があっても大宮から仙台の間はほぼ初めて足を踏み入れるエリア。


日本なんてどこも同じ景色が広がってるように見えるけど、初めて見る街、初めて見る山々は自分にとったらとても新鮮であり見飽きる事がない。


どっちかが海で、どっちかが山・・・という地域でばかり生活していたので、どっちを見ても遠くに山が見える光景が延々続くのはなんか不思議な感じがしました。



途中、宇都宮辺りから地震の影響で屋根にブルーシートを被せてある家が現れ始め少々ブルーになるも、新幹線は2時間ほどで仙台に到着。


あれだけの災害に見舞われながらも、地震4ヵ月後の仙台は驚く程に賑やかで活気づいていた。
※後で気づいた事ですが仙台駅ホームは地震で屋根の壁が抜け落ちたそうでよく見るとまだ完全に直っていない。


◆◆宮城復興の先陣を切る日本三景松島へ行こう

仙台駅からJR仙石線に乗り換え、日本三景の一つ松島に向かいます。

途中、多賀城、塩釜と津波で甚大な被害を出した街をいくつか通り過ぎながら列車は海岸沿いを抜けて松島へと走る。塩釜市内に差し掛かると車窓に初めて津波で破壊された建物等が目に入り、ボランティアでもなく宮城県に足を踏み入れた事に若干の後ろめたさを感じた。


塩釜までは仙台のベッドタウンといった感じも塩釜から先は景観が一変。



入り組んだ海岸沿いを縫うように走り松島海岸駅に到着。平日の朝10時前という事もあり、賑わってはいないけど観光客はちらほら見受けられる。


松島のある松島町は、近隣の沿岸市町村が甚大な被害に見舞われる中、島々が防波堤変わりになったおかげで津波の被害は比較的小さかったそうです。


とはいえ、津波で今だ開業出来ない土産物屋も多くあり、震災後4ヶ月経ってさえも完全に復旧出来てない状況なのに松島町が沿岸では「最も被害の少なかった街」である現実を思うと今回の震災のスケールには途方に暮れてしまうのが正直なところです・・・・


気をとり直して、松島の街を散策してみます。



駅からすぐ近く、木々が茂った海を見下ろす小さな岩場の上から涼しげな風鈴の音が聞こえてくるのでてくてく歩いて行くと、純和風な素敵な建物がありました。



ここは観瀾亭といって、元々は京都の伏見桃山城の一棟だったものを(伊達政宗豊臣秀吉から譲り受けたらしい)江戸に移築し、更に2代目の藩主の忠宗がこの地に移したものだそうです。


藩主の納涼や観月の為の施設だったようで、「1本1石も変えぬように」と命じ江戸から海路運ばせたそうだから大変です。今の世なら“無駄遣い”“必要無い”で一蹴されそうな感じですが、地方のボンボンのやりたい放題っぷりは今も昔も変わりなく「知恵を出した奴は助ける」と言った何とか大臣を思い出しました。



とはいえこの観瀾亭、実に風流で風も涼しく思わず長居したくなる居心地の良さです。入場料は200円だったと思いますが、座敷で抹茶やスイーツを頂く事も出来てお薦めです(別料金)!


自分は仙台名物のずんだ餅を注文したんですが、他の観光客がいない事もあってか豪華絢爛な襖絵のある部屋のど真ん中に通して頂き、縁側越しに松島の島々を眺めながらのんびり抹茶とずんだ餅を食べれば気分は最高。束の間の殿様体験は気も大きくりがちで

「俺より知恵のある奴は全員切腹」暴君義胡府、世が世なら言い兼ねない・・・と思いました。



観瀾亭のすぐ近くには国宝の瑞厳寺があり



門から続く参道がとても涼しげで素敵な雰囲気。

でも肝心の瑞厳寺の本堂が工事中で公開されてないとの事だったので残念ながら今回の見物ははスルー


遊覧船にも乗って松島巡りでもしてあげたかったんですが、時間が合わずそれも今回は断念。


被災にの為に!と思ってやって来ても盛大に散財は出来ない悲しき小市民・・・・



隅々まで見て回れなかったのは残念だったんですが、短い滞在の間にも地元の方々の“被害が少なかった分、与えられた使命があるんだ”という意気込みがそこかしこから伝わって来て頼もしくなりました。


中途半端に時間が余ったのでふらりと立ち寄った小さなお寺もいい雰囲気でした。

※翌日、仙台への帰路、再び松島を通ったのですが遊覧船乗り場が大いに賑わっていて安心しました。


◆◆祝世界遺産認定!話題の平泉をざっくり先取り。

松島海岸から、東北本線松島駅(さっきと違う駅)まで歩いて電車で 平泉へ向かいます。

かつては松島観光の玄関口だったであろう松島駅は今では利用客がそれ程多くないようですが往時を偲ばせる広いホームは吹き抜ける風が心地よく、都会暮らしでは煩わしく感じる電車の待ち時間がとても贅沢な時間のように思えました。


やって来た列車は東北の長閑な景色に不相応な都会的なのが残念なのですが、窓の外に広がる田んぼの緑はこれぞ東北な広大な田園風景。


同じところをぐるぐる回っているのではないかと思うほど駅間の景色は同じなのですが、不思議と見飽きることがない。


途切れる事の無いのどかさ・・・・これぞ東北の魅力だと思った。



松島から1時間程で列車は平泉に到着。気づいてなかったけどいつの間にか岩手県


平泉といえばつい先日世界遺産に認定された旬なところ。中尊寺金色堂などが有名ですが、日本史を勉強した時に出てくる奥州藤原氏の名前が似通っていてちっとも覚えられずイライラした事も思い出します。



拍子抜けするほど小さな駅ですが、流石に新駅舎を建設するらしく元の駅舎は巨大テロップの様になっていた。



さー平泉を観光するぞ!っと鼻息荒く降り立ったものの相変わらずノープラン!



有名な中尊寺金色堂が駅の近くにあるのかも分からない。観光案内所も込み合っていたので、どうしようかとうろうろしてたら巡回バスみたいなのが来て皆ぞろぞろ乗って行ったのでつられてて乗車。周りの人が平泉のパンフを広げていたのを盗み見するというスパイの様な手口で情報を収集する(スパイなのに情報弱者)。

それによると中尊寺は駅からやや遠く、同じく世界遺産に登録された毛越寺というお寺が駅の近くにあり、今乗っているバスも先ず毛越寺に向かうと言うので行って見る事にします。


毛越寺


毛越寺は仏の世界である浄土を現したといわれる広大な庭園が特徴であまりお寺という雰囲気ではありませんでした。

大きな池があり、中央に中島があったり、周囲に玉砂利が敷かれているなど800年前に作られたとは思えない姿をとどめていて当時の作庭技術の高さが伺えます。


この小川では流れに盃を浮かべ、流れ来る間に和歌を詠み、終わって盃を戴くという優雅な遊びが盛んに行われていたそうです。かつては朝廷との繋がりをも得て京都の文化も取り入れ、アイヌを介して大陸との交易を行っていた平泉の高い文化水準を今に伝えているような気がします。


当時は池の周囲に多くの施設があったそうですが、藤原家の滅亡と共に建造物の大半は失われてしまい現在ではは礎石等でしか残っていないものが大半です。

恥ずかしながら今まで知らなかったんですが、松雄芭蕉のあまりにも有名な句である“夏草や兵どもが夢の跡”は藤原氏が栄華を極めた平泉が江戸時代には夏草の生い茂る野原になってしまった事を詠んだものだそうです。

もしかしたら松尾芭蕉は当時の毛越寺にも訪れていて夢の跡に思いを馳せていたのかもしれない・・・・

なんて思うと突発的な弾丸ツアーも有意義な歴史探訪のように思えるから不思議です。

もっとじっくり見ていたかったんですが天気が芳しくなく今にもにわか雨が振り出しそうな気配と、バスの時間もあって先を急ぐことにします。


中尊寺


さっき乗った巡回バスは結構な頻度で運行されていて、次の目的地中尊寺まで容易に行く事が出来たのですが



バスを降りるといきなり弁慶の墓が!(位置的にはバス停の写真の撮影位置のすぐ右手)
誰もが知ってる歴史上の名脇役の墓が、ドライブスルー感覚でお参りできそうなカジュアルな立地である事に驚くとともに平泉が弁慶や源義経ゆかりの地だった事を思い出す。

そういえばドカベンに出てきた弁慶高校も岩手県代表だった(甲子園まで歩いて来た!)。

ちなみに弁慶って実在の人物ではないという説があるのですが、お墓のぞんざいな立地がそれを裏付けるような気がしてなりません。本当のお墓ならすぐ横に国道通さないと思う・・・弁慶エピソードもお墓も後乗せサクサクだと思うなー。



中尊寺の入り口は弁慶のお墓のすぐ近くにあります。


しかし思いがけない急勾配が寝不足の身にこたえる・・・・予習無しで来るから余計にしんどく感じた。


金色堂までの登りは1キロ近くになるんですが、その間に多くのお堂が参道脇に点在していて特徴的に思いました。


しかも、小さいお堂にも必ずといっていいほどお守りを販売している売店が併設されていて、そのなかでも繁盛しているお堂とそうでないお堂、勝ち組と負け組みが存在しているようで面白かった。


その中で最も勝ち組に感じたのはこのお堂。



目にご利益があるそうで“めめめめめめめめめめめ”と猛アピール


幟はシュールだしついつい足を止めてしまう。



売店のおばちゃんに聞けば「各お堂ごとにご利益が違う」とのこと。そして世界遺産認定記念の限定“め”のお守りを猛プッシュ。さすが勝ち組、東北復興の為にお金を使おうと思ってやってきた男の財布の紐が緩んでいる事を見逃さない眼力はさすがに“目”が鍛えれていると思った。

お堂は全部で17近くあるそうで、いずれも非常に古い造りで歴史を感じます。



そんな古いお堂が続く坂を上りきると、一転して非常に立派で新しい社務所の様な建物が。

ここは金色堂の拝観券発行所で、ここまで無料でたどり着き“金色堂も無論無料で見れる”と思ってやって来た無知な観光客にとっては関所のようなところです。“さぁお金を下ろして来い”と言わんばかりにATMまで併設されてる周到さ。


「そういうことか・・・」という嘆きの声がちらほら聞こえてきます。


とはいえ多くの観光客は拝観券を購入して金色堂のあるエリアに向かうのですが更なるガッカリに直面します。



それは金色堂はコンクリート造りの建屋内にあって外からは見れずしかも写真撮影が禁止だという事・・・・


〇頂上まで来て別途拝観料の徴収。
〇肝心の金色堂が建屋内。
〇写真撮影禁止。

この三つの後乗せサクサクにはがっかりする人多数で、タチの悪い団体が来たときに暴れださないか心配です。



という事で最も見せたかった金色堂は写真に撮れなかったけど、外からちょっとだけ金色堂が写ってるカットをUP。かすかに金色に輝いたお堂が見えます。更に詳しく知りたい人は各自調べるように(投げやり)。

ざっくりとした感想を述べるなら「金閣寺ほど不自然にピッカピカではなくてそれなりに歴史は感じるし見る価値はあるかな」って思います。


ちょっと苦言を呈したしまったけど、金色堂を見学し終えるとちょっぴり下り気味だった天候が回復していて緑が眩しかった。


平泉はかつて平安京に次ぐ大都市であったと言われています。マルコポーロの言う黄金の国ジパング中尊寺金色堂であるとも言われています(その当時金閣寺は無かった)。今、こうして中尊寺の木々の間から眼下を眺めてみても、その面影はまるで感じられずまさに栄枯盛衰のはかなさを感じずにはいれません。周辺には平泉の繁栄から衰退を知る史跡が中尊寺毛越寺以外にも数多くあるのですが、今回訪れない分、いつかゆっくりと“兵どもの夢の跡”を見て周れればと思います。


この弁慶も正式に世界遺産になっても是非頑張って欲しいと思います。





いにしえのロマンに浸る平泉を後に、途中盛岡で冷麺を食べ今夜の宿がある青森に向かいます。


車中からは岩手山がとても綺麗だったし


青森の山間部の景色はまるでヨーロッパの高原の様で眠いのに外の景色に釘付けでした。


6年ぶりの青森は風が涼しくて北に来たんだなーと感じた。
いつも(今回も)泊まるだけなので市内をゆっくり散歩してみたかったけどホテルに入ったら速攻で寝てしまった・・・・


続きは次回で。