東北弾丸ツアー二日目〜思いがけず目の当たりにした被災地の事とか〜

東北弾丸ツアーの二日目は石巻に向かう事にしました。

直前までどこに行こうか迷いに迷ったんですが、先日、石巻の老舗笹蒲鉾屋が早々に震災から復興し営業を再開した旨を放送していたのをテレビで見て、是非お土産に買って帰ろうと思い立った訳です。

当初は被災地真っ只中には行かないようにしようと思っていたので、今回の震災で最も多くの犠牲者を出した石巻に軽々しく足を運ぶ事には相当抵抗がありましたが、被災地で消費活動をする事は間接的ではあれど復興支援に一役買うはずであるというこの旅の主旨を信じて一路石巻を目指します。


石巻へのJRが既に復旧している事は昨日平泉に向かう途中に知りました。

小牛田という駅で石巻線という路線に乗り換えわずか30〜40分程で石巻には到着します。



車窓は延々と緑濃い水田が広がり、震災の影響など微塵も感じさせない光景に複雑な思いを抱きます。数キロ先は津波で甚大な被害を被った街があるのに、目の前の水田ではすくすくと稲が育ちつつあり農家の人があちこちで作業をされていた。

この目に見えない運命の境界線のようなものはこの先も常に感じ続ける事になります・・・


石巻に向かうにあたり、一眼レフカメラを肩からぶら下げていかにも物見遊山な風で町を歩く事には抵抗があったので、カメラを小型のコンデジに切り替えています。それでもここから先は写真もあまり撮れず、拙い文章メインでの報告になります。




石巻駅に到着


駅に降り立って先ず気になったのは魚醤のような匂いが漂っている事。
以前バンコクに行った時に街中に漂っていたナンプラーの匂いと似ていて、ナンプラーも魚を醗酵させた魚醤であることから、魚の腐敗が原因であろうこのような異臭が街中に漂っているという事は新聞等で見た被災地の異臭問題が深刻である事を改めて痛感し、何だかんだで観光で来ていたお気楽な気持ちが消え、一気に緊張が高まりました。

※臭いは決して耐え難いというレベルではなく、元々港町なので何もなくてもこの臭いはしていたのかもしれません。魚市場や漁港に行けば魚の臭いがするのは当然ですが石巻の駅前で感じた臭いはそれに比べたらはるかにましでした。


駅前は思っていたより多くの人が行きかっており、不謹慎な表現かもしれませんが“賑わい”すら感じました。ただその賑わいは女川や東松島等の壊滅的な被害を被った街にむかう代行バスを待つ人々であったり、近くにある役所に震災後の諸手続きにやってくる人々であったりで、駅前の広場にあるベンチでおしゃべりをしている近所のお年寄りであろう人々は震災前の日常を奪われたが為にこうして寄り会っているのではないのかと思った。

そんな地元の方々が会話してる内容は震災から4ヶ月経てども、押し寄せた津波の事であったり、助かった人の事、助からなかった人の事であり、断片的に耳に入ってくるだけなのに十分にリアルで心に響きます。



石巻の中心市街地はよくある田舎の商店街といった風ですが
やはり所々震災の爪あとが残っています。
店を閉めてしまったテナントも多くあるし、傾いた店もある。
その一方で震災の影響を全く感じさせずに営業してる店もあり様々。


ただそれらに積極的にカメラを向ける事はやはり出来なかった



4ヶ月前にはこの通りにも津波が押し寄せ瓦礫に埋もれていた事を思うと、復興のペースというのは思いのほか早いスピードで進んでいると思うかもしれませんが、それはあくまで“駅前”だけの事であるようです。


石巻の駅前に立つと正面に小高い山があるんですが、おそらくその山に登って向こう側を望めば津波で壊滅した地区の様子を目の当たりにする事になるはずです。

駅に降り立った時に、駅員にその山への行き方を尋ねる人を何人か見かけましたが、自分には興味本位で被災地見物する気にはなれず、本来の任務である蒲鉾購入というミッションを遂行すべく目的の笹蒲鉾屋さんに向かいます。



その蒲鉾屋は白謙かまぼこ店といい石巻ではおそらく知らない人がいない有名な店。


店内でも多くの人が商品を買い求めていて、特に宅配便で遠くの知人に発送する人が多くいたのが印象的。遠くにいる石巻出身の人はこの蒲鉾が送られてきただけで故郷が着々と復興への道を進んでいる事を知り元気が出るのだろうと思います。

ギコフは笹かまぼこを購入。実家への発送用と名古屋へのお持ち帰り用とすぐ食べる用を奮発しちゃいました。


肝心の味の方なんですが・・・・・


お世辞抜きでメッチャ美味かった!!!!





外はプリプリなのに中はとろけそうな程柔らかくて、

こんな蒲鉾があるのか!!と衝撃を受けた。まさに新食感!

大袈裟に「美味い美味い!」と書いて、ネットで出来る復興支援やーと偽善ぶることはいくらでも可能ですが、冗談抜きで美味い!


http://www.shiraken.co.jp/shop/
ネットでも買えるみたいなので興味ある人はお試しあれ!被災地支援が自宅でも出来ます。



◆◆思いがけずに目の当たりにした被災地の惨状について。

石巻の滞在は白謙かまぼこへの往復のみにして仙台に戻るべく早々に駅へ引き返す。

仙台方面はJRの代行バスが松島まで運転されていて、自分の買った切符でも利用可との事だったので乗車する事にした。


http://matome.naver.jp/odai/2129983024746115901/2130024427549761203
4ヶ月前には浸水し自衛隊のボートが救出活動をしていた道を通りながら代行バスは複雑に迂回するルートで仙台方面に向かう。

ただ石巻周辺の比較的内陸部は大型店舗が何事も無かったように営業していたりで、津波の被害の少なかった地域は、震災から4ヶ月という月日でかなりの日常を取り戻すつつありました。





しかし隣の東松島市に入ると状況は一変します。




農地が広がる長閑な景色の中を走っていたのだが、どうもその農地が荒れている。



ようやく土に覆われたこの荒地は元々水田であり、津波が押し寄せた為に土砂に覆われ雑草が茂っているのだという事に気付く。




そしてバスが大きな川の堤防上を進み、河口の向こう側に広がる太平洋を見た時の気持ちは例え難いものがあり。

3月11日にこの海からもたらされた悲しい現実を思うと、普段海を見た時に感じる開放感や爽快感がまるで感じられず暗澹たる気持ちに押し潰されそうになりました。



ほどなくしてバスは野蒜という地区に差し掛ったのですが。この街で見た惨状は一生忘れる事はないでしょう。


本来ならば奥松島観光の入口であり今頃は海水浴で賑わっていたであろうこの街は、4ヶ月前まさに地獄でした


当時のニュースでJRの電車が津波で「コ」の字に押し流されていた映像を目にした人は多いと思います。その街がまさにここ野蒜でありました。

そして多くの人が非難した小学校の体育館を津波が直撃するという筆舌に尽くし難い惨事が起こります。



http://www.asahi.com/national/update/0313/TKY201103130315.html
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110314/dst11031416020089-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110501/dst11050120060023-n1.htm

詳しくはこんなブログでは軽々しく記すことは出来ません。この地区で起こった事はリンクを参照してください。




バスから見る野蒜の街は、埃で薄汚れた窓越しに見るせいか黄見がかったフィルターを通して見ているようで、今思い返すと悪い白昼夢見ていたかのようでした。



カメラを向けた反対側の光景にシャッターを押す事は出来ませんでした。
それだけの惨状だったと思って下さい。


遠くに見えた海岸の松林は3月11日以前はこの場所から見えなかったのかもしれない

ポツンポツンと一階部分が刳り貫かれた傾いた家が見えるが、3月11日以前はもっと多くの家が建っていたのか?

広がる更地は元々何だったのか・・・


ただただそう思った。


この街の3月11日以前を自分は知らない。


知っていたら直視出来なかったかもしれない。


唯一分かっている事は、3月11日以前には決して戻れないという事くらい。


そんな事しか思い浮かばない己の無力さが身に染みた。





我が誕生日である3月11日、14時46分を境に日本は変わった。

確かにそう思った。

被災しなかった事に罪悪感すら感じたし、心臓を鷲づかみされてるかのような悶々とした日々を送っていた。

でも5ヶ月も経てば遠く離れた街で暮らす人々の生活は日に日に日常を取り戻している

今、気にするのは節電くらいで、食料の買占めもなければ停電も無い。

3月11日以前にはなかったこの生活の格差が運命の格差だと思うとそれはあまりにも不条理だと思った。


被災地から離れるにつれ人々の平穏さが増して行く現実。

それは被災した県内でも多いに感じた。

喜ばしいと言えば喜ばしいが、それは被災した県内での事であって

“非”被災者はこの時間の流れに身をまかせてしまっては駄目だと思った。

被災直後は「こんな時だからこそ」で大半の国民が被災した人々を慮った。


日本人の美徳は失われていないと思ったが「こんな時だからこそ」と一つになったあの気持ちを「これからもずっと」へと修正しなきゃいけないと思った。


これは野蒜の街の惨状が教えてくれた事だと思う。




◆◆このレポートを書くか迷ったけど、書いた訳。

今回のレポートで一つだけこだわった事があります。


それは景色を撮る際に必ずカメラを被災地に向けてシャッターを押した事です



途切れることの無い豊かな田園風景。



遠くには山が聳え、広い空には大きな雲が浮かぶ。



でも、山の向うには必ず瓦礫に埋もれた街があります。


遠い空の雲の下には必ず住む家のなくなった人々がいます。


今、東北に行って東の空を眺めれば、その空の下は必ず被災地です。

[:380]
視点を変えれば、被災地から見た山の向こうでは電車が走り、スーパーも営業し、学生が冗談を言いながら通学している。


日常が戻りつつあるけれど、何だかつらい温度差が生じている感じがしました。


松島も平泉も石巻の蒲鉾の味も、どれもこれも忘れ難いものがありましたが


でも最も印象に残ったのは一山超えた先に必ず被災地がある東北の現実だったかもしれません。


だからこそ、一人でも多くの人に今こそ東北に足を運んで欲しいと思います。


紙一重の現状に直面してこそ「これからもずっと」が多くの人々に芽生えるはずだと思うからです。


途方も無い現実ですが、最も懸念すべきは風化や無関心だと思います。


足を運べ無い人が大半ですが、足を運んだ人が何かを伝えるべきだと感じました。


人の不幸とか日記にするのは抵抗がありましたが、あえて書いたのはそんな事を思ったからです。


次、休みが取れたら東北に行くか?と言えばなかなか行けないのが現実です。

でもいつかまた今回のルートを辿ってみたいと思います。

その時は是非今回よりも明るい話題で報告したいもんですね!


終り


※前回を含めこの旅の記録の中で“被災地真っ只中に軽々しく足を運ばない”とありますが、結果的にバスで通過しただけではあるけど、被害の甚大だった野蒜地区に足を踏み入れてしまいました。JRの代行バスは本来駅のあったところに停留所を設置し、電車代わりに運行しているのですが、事前に得ていた情報では「被害の激しかった地区の駅は本来の駅から遠く離れた場所に停留所を設置している」との事だったので、被害の大きかった地区は迂回すると思っており野蒜は通らないのだろうと思っていました。