義胡府国風土記~旅と外出~

5年間放置していました

戸隠の参道を歩いて感じた古代日本の信仰とAKB


戸隠に行って来ました。

別件で長野に来ていたのですが、用事も早く終わり真っ直ぐ帰るのもシャクだって事で足を運びました。

以前観光ポスターで見かけた、荘厳でもののけな雰囲気漂う杉並木の参道を歩いてみたいと思っていたのですが、それが戸隠のどこかもよく分かってなくて、車を走らせながら色々調べるよう有様でしたが、それは戸隠神社の奥社に続く参道である事が分かりました(そもそも戸隠の位置もよく分かっていなかった)。



奥社の入り口は神社仏閣が立地するシチュエーションにしては不相応な高原の避暑地といった雰囲気。



一応、鳥居があるのでここから先は神社の境内な訳です。



ここから、目指す戸隠神社奥社までは片道2キロほどあるので、そこら辺の神社にお参りするのとは違ってそこそこ体力が必要です。


高原の林の中を真っ直ぐに伸びる参道は、参拝ではなく、まるでトレッキングに来たかのような気分にさせてくれます。


遠くでカッコウが鳴き、天気は曇りがちだけれども新緑は美しい。



戸隠に到着したのは15時前だったので“ちょっと遅すぎたかな”と思ったけど、まだまだ多くの人が奥社を目指して歩いて行きます。

戸隠周辺は古代から霊場として知られ、修験者が厳しい修行を行う地であった訳ですが、近年、とりわけここ数年は“パワースポット”という便利な言葉が流行った影響もあり多くの人々が訪れ賑わっています。

パワーにありつこうと必死で欲深い人々がこんなに大勢いたら、パワーの取り分が減ってしまう・・と内心ちょっとがっかりした訳ですが、そんな己も“欲深い人々”の末席にしっかりと名を連ねている訳なので実に勝手です。



そんな煩悩まみれな身ではありますが、林の中を真っ直ぐ続く参道は本当に爽やかで幾分心が洗われる感じです。



一キロほど歩くと茅葺の随神門という山門があります。


ここから先は今までの高原然とした雰囲気が一変します。


まるで俗世間と神々の世界との境目であるかのような光景が山門越しに伺えます。
まるで別世界へのどこでもドアと行った感じ。



歩いてみたかった杉並木。


観光客がいる事でむしろ杉並木のスケール感が伝わるかと・・・・人間がまるで小人ようです。



しかし、素晴らしい眺め。さっきまではマイナスイオンにまとわれていたような雰囲気だったけど、随神門から先は明らかに違う空気が張り詰めていて圧倒される。


“霊験あらかた”とはまさにこの事・・・・


この杉の木は今から400年前に植樹されたようで戸隠神社の歴史に照らし合わせると割と最近のこと。案内によると17世紀に幕府から領地を拝領した際に植樹して一山の威容を整えた・・・とありました。

「国有地ゲットしたから見栄えよくしようぜ」って事だったんだと思います。



奥に進むにつれて勾配がきつくなりますが目指す奥社はもうすぐです。木々の向うに、いにしえから人々が信仰を続けてきた独特な形状の戸隠山が見えています。



到着。



狭隘な立地にいくつか社が建っていて、最上部にあるのが“奥社”。背後に険しく聳える戸隠山がとても印象的です。
豪華な社殿がある訳ではありませんが、シンボリックな戸隠山が社殿代わりなんだと思います。



戸隠の山頂は霞がかかっていたのですが、時折青空が覗いたりと気まぐな様子。 社務所の人に不審がられるくらいにずっと見つめていたのですが、本当にパワーを感じる姿をしていて圧倒されます。


■■戸隠を語るには避けて通れない天岩戸伝説をざっくり説明■■


戸隠山には日本神話で言い伝えられている天岩戸伝説と深い関係があります。それはこんな話。

太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩の中に引き篭もってしまい世界中が暗くなってしまいました(色々むしゃくしゃする事があったよう)。困った神々達はあの手この手で天照大神を外に出そうとあれこれ思案します。



すると、ある神様が滑稽な踊りをし、それを見ていた神々が一斉に笑た為、笑い声を聞いて訝んだ天照大神は岩の扉をちょっと開け外の様子を伺いました。その時、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)といういかにも力持ちそうな神様が岩の扉を投げ飛ばして開け天照大神を外に引きずり出した・・・・


その投げ飛ばされた岩の戸が落下して山になったのが戸隠山という、何とも豪快なエピソード。

だいぶ端折りましたが古事記日本書紀もだいたいこんな感じです。

天照大神が引き篭もってしまった天の岩戸は宮崎県の高千穂にあるとされ、神々が集まって相談した場所も神話上では同じく高千穂にある天安河原という事になっています。



そこからでっかい岩の扉が飛んで来て落っこちたのが長野って何だか凄い。

交通網も情報網もまるで発達していなかった時代に高千穂(宮崎)と戸隠(長野)を関連付ける伝説を造り上げる・・・・それは古代の日本で行われていたタイアップキャンペーンのようで興味深いのです。

この手の話はだいたい世界中にあって、それは殆どが日食を現すと解釈されている。古代の人々が恐れる日食という現象を人々の信仰の為にストーリー仕立てに仕上げプロデュースした・・・何かそんな感じがします。

あった事をそのまま伝えるのではなく、物語として色付けをする事で後世まで伝える事が出来るし、人々を煽る事が出来る。そんな考えをもったプロデュース力に長けた人がいにしえの時代にもいたのでしょう。

そういえばアイドルって偶像って意味だし、秋元康が次々にアイドルを世に送り出し、秋葉原をアイドルおたくの聖地にしたのって、日本神話から様々な言い伝えや信仰が生まれたのと同じ構造な気がします。高千穂が秋葉原なら、神話に登場する八百万(やおろず)の神はまさしくAKB。

そのムーブメントは高千穂だけにとどまらず日本各地に拡散し、天岩戸伝説は戸隠だけでなく伊勢や京都、四国など西日本を中心に各地に伝わる・・・それはまるでSKE48やHKT48のように。

そして天照大神は不動のセンターだった。



そうなると高千穂に伝わる有名な夜神楽はAKB劇場?


何だか話が飛躍したというか、宗教を俗っぽく例えてバチがあたりそうですが、信仰って要はそういう事なんでしょう。戸隠の参道を歩きながら「AKBとおなじだ・・・・」と思っていた訳ではないんですが、あまりにも素晴らしい雰囲気だったので帰ってからも余韻に浸りイロイロ調べるうちに、相変わらずの着眼点ずれが生じてしまったみたいです。

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帰り際に、戸隠山が綺麗に見えるポイントがないかとキョロキョロしてたんですが大望峠というところから綺麗に戸隠山が見えました。ちょっとサイド気味なので、山頂の険しい感じが幾分和らいだ印象ですが、古代から人々に神々しい印象を与え続け、山岳信仰を生んだその姿は本当に迫力のある姿でした。


じっくり時間をかけてまたいつか訪れてみたいと思います。