義胡府国風土記~旅と外出~

5年間放置していました

台風19号ボランティア活動とその後の長野

こんにちは。

前回の続編、諏訪を後にして長野市に向かった話です。

ここ2年程で何回か長野には足を運んでいるのですが、きっかけとしては以前の投稿にもある倉敷と同様に台風被害の被災地でのボランティア活動がきっかけでした。

 倉敷の様に毎月通うようなことはなかったのですが、比較的名古屋からも近いし、趣味の輪行自転車旅で訪れるにはもってこいなのでどっぷりはまってしまいました。

 

長野市での台風19号ボランティア活動

その前に、台風の被災地の事も記しておこうと思います。

2019年の秋、台風19号によってもたらされた被害は甚大で、長野市では千曲川の堤防が決壊し大きな被害に見舞われました。新幹線の車両基地が水没した映像をニュースなどで見て覚えている方も多いかと思います。

長野ボランティア 長沼西日本豪雨のボランティア経験から単独で安価で活動できる知恵を付けていたので、思い切って現地に足を運んだ訳ですが、現地は想像を絶する惨状でした。特に長沼という地区は決壊した堤防のすぐ近くにある為、濁流によって激しく破壊されており、まるで津波被災地の様。

長野 災害ボランティア

今まで訪れた災害の被災地は、少し時間が経ってから、復旧活動の終盤に参戦という感じでしたが、今回は序盤戦。足手まといにならないか心配でしたが、序盤戦ゆえに大量のボランティアが各地から集結していてとにかく心強かったです。

 

特に長沼地区はリンゴの栽培が盛んな地域。

辺り一面リンゴ畑が全て水に浸かったと思うと、今後は以前の様にリンゴを収穫する事が出来るのか不安になりましたが、ボランティアに与えられたミッションの多くもリンゴの木の救済。

長野災害ボランティア 長沼木の幹の周りの泥をどかすだけでもリンゴの木が死ななくて済むという事で、皆で作業する訳ですがそう楽な作業ではない。

 

とにかく堆積した泥の厚みが半端ないのです。しかも粘度があるので、一度深みにはまると足が抜けなくなるほどで、あちこちでゴキブリホイホイ状態。数メートル先のリンゴの木にたどり着くまでに一苦労。流れ着いた瓦礫の中から板状のものを敷き詰めてルートを確保して作業をするという有様でした。

堆積した泥を除く作業をしていると、土中からたくさんのミミズが出てきます。本当かどうか分かりませんが、泥に覆われてしまうとミミズが呼吸出来ないと聞きました。ミミズが呼吸できないのであれば恐らくリンゴの木も呼吸が出来ないので死んでしまう…という事だったと思うのですが、一刻でも早くリンゴの木の周りの泥を取り除く事が重要で、その日だけでも何千人というボランティアがリンゴ救出作戦に従事していたはずです。

 

長野 災害ボランティア 長沼その日の作業を終え集合場所に戻る途中、四日市市のゴミ収集車が泥にはまって動けなくなっていました。我々のグループが助太刀しに行きましたが手押しではどうする事も出来ず途方に暮れていると、名古屋市のゴミ収集車が通りかかり、牽引用のロープを持っている大阪市のゴミ収集車を呼んできてくれて何とか脱出する事が出来ましたが、日本中から応援部隊が長野に集結している様はカオスでしたが頼もしくもありました。

ゴミ収集車以外にも、ボランティアセンターで誘導していた人は焼津市の方々だったし、災害時に現地で任務に当たる担当者は被災した自治体ではなく近隣の県から派遣される方が多く頭が下がる思いでした。稀に運営に文句を言うボランティアがいますが言語道断です。

長野 災害ボランティア 赤沼水没した新幹線車両基地の近くの赤沼地区でも活動させていただきましたが、こちらは堤防の決壊地点から離れているので、濁流による被害ではなく、じわじわ浸水してしまった感じです。

水没した新幹線の脇も通りましたが、かなり高い位置に停車しているのに被災しているので相当な高さまで水が来たようです。

 

長野 災害ボランティア 赤沼赤沼地区で担当したお宅は高齢のご夫妻が住む立派なお屋敷。ヘリコプターで救出された話を面白おかしく聞かせてくれたり和気あいあいとした雰囲気で作業をさせていただきました。

 てな事を書くと「和気あいあいなんてふざけてる撤回しろ」と口角泡を飛ばして追及する人もいるかもしれませんが、色々な被災地で活動して漏れなく感じる事は、被災者で特に高齢者の方はほぼ皆さん明るく出迎えてくれるという事。散々怖い思いをして苦労した後に、日本中からボランティアが手伝いに来てくれるという事は、こちらが思う以上に元気を与えるようで、明るい気持ちになるそうです。

特に高齢者の方はお喋り好きなので、色々な話を聞いてあげる傾聴活動も立派な災害援助。当時の状況を聞くのも良いし他愛もない話に花を咲かせるのも良し、その場の雰囲気が明るくなる事は決して悪いことではないと思っています。

 

因みに初めて西日本豪雨のボランティアに参加した際、被災されたお宅のお母さんと大いにお喋りして、作業もすこぶるはかどり、お互い最後に「今日は楽しかったですね」と言ってお別れした事がありました。

 

過度なバカ騒ぎは禁物ですし、全員が明るい人ではないので、空気を読むことは大切ですが、自分が被災者になった時はそういう振る舞いが出来る人間でありたいし、活動終了後に行く地元の美味しいお店の一軒や二軒くらいボランティア紹介する心の余裕は持っていたいもんです。

 

話題が台風被災地の話と・・・少し重い方に行ってしまいましたが(実はこの後の伏線だったりします)、話題を元に戻しましょう。

 

■大門前町長野市の魅力を浅く薄く紹介

長野市を改めて散策すると、とても魅力的で唯一無二な感じがする街だなーと思うので色々とご紹介。※ここ2年で数回訪れているので写真の天候や時間帯がまちまちです。

 

f:id:takagikofu:20200311110734j:plain長野市といえば何といっても善光寺で栄えた門前町

いつも賑やかな参道。小奇麗な感じですが石畳は江戸時代からのものらしいです。

 

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f:id:takagikofu:20200920065530j:plain特に参道の途中にある山門の仁王像のリアルな造形・迫力にはいつも圧倒されてしばし立ち止まって見上げてしまいます。

 

f:id:takagikofu:20210525211221j:plain善光寺の本堂。実物は写真で見るよりずっと巨大で圧倒されます。

毎朝6時頃から、お朝事というお勤めのようなものが365日欠かさず行われていて、自由に見学する事ができるので実際に足を運ぶと色々と発見があり興味深いです。

 

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f:id:takagikofu:20210525212011j:plain因みに善光寺の御本尊は絶対秘仏であり、その姿を拝むことはできません。

その代わりご本尊のお身代わりである前立本尊を7年に一度の御開帳の時にだけ拝むことが出来るようで、次回の御開帳は令和四年の4月3日から5月28日までとの事。

 

7年に一度か・・・と途方に暮れそうですが御開帳の期間が長いのが気の利く感じです。

 

個人的に善光寺の「ご本尊様は絶対に姿を拝むことが出来ない秘仏である」という言い伝えと、高野山の「空海は今も奥の院の御廟の中で瞑想を続けている」という言い伝えが大好きで、脈々と世代を超えて静かに伝承されてきた信仰の尊さが身に染みる感じがします(上手く説明できない)。

 

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絶対に姿を見ることの出来ないご本尊様に思いをはせる善光寺参り。
想像力と感受性を働かせて参拝すると、ふらっと訪れた散歩程度の参拝も尊い時間にように思えてきます。

 

もっともっと様々な魅力と歴史が重なる善光寺ですが、拙いブログで解説するのは罰が当たりそうなので興味のある人は是非ご自身で調べてみて下さい。

 

善光寺参りもいいけど、善光寺周り参りも楽しいよ

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参道から少し脇道に入ると宿坊が軒を連ねていたり、古い建造物が残っていたりと独特な雰囲気です。古くから地域に伝わるちょっとしたスポットも多く、由来系の案内もあちこちに見受けられますが、理解できたりできなかったり。

 

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門前町自体は日本中の至る所にあるのですが、長野市のように県庁所在地クラスの都市で門前町って珍しいと思うのです。だいたい県庁所在地クラスの都市は城下町や宿場町。都由来の奈良を除けば恐らく日本最大の門前町ではなかろうか。

行った事はないけど大きな街で門前町って他には成田とかが思い浮かびますが、都市としては長野の方が大分規模も大きいかと。大きな街&大きな寺の組み合わせは意外と無いかもで、そこはかとなく感じる長野の魅力や風情はそういうところかなと。

 

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城下町や宿場町には無い門前町としての落ち着きを堪能しつつ、駅の方に行くと俗っぽいエリアもあれば。

 

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お洒落なお店もあちこちあって、自転車で散策していても飽きる事の無い街。新幹線も出来て東京からのアクセスも良くなり、移住する人も多くいるようですよ。

 

■城山動物園で昭和の残り香を味わう

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善光寺の裏の方には無料で入園できる城山動物園(遊園地も兼ねる)があってお勧めです。

 

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間近から動物を見学できるので猛獣系はいません。

 

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特に猿山とアシカ(アザラシ?)はずっと見入ってしまいます。

 

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園内には昭和の残り香がぷんぷんで、懐かしい雰囲気です。

無料なので恐らく民間の経営ではないと思うのでお客さんが少なくても余計な経営の心配をしなくても大丈夫そうです。多分。

 

 ■昭和に強制送還。長野電鉄で昭和トリップ

長野市から郊外に路線を伸ばす長野電鉄

この長野電鉄の駅が城山動物園以上に昭和を引きずっていて必見です。

起点の長野駅から数駅は地下を走るのですが、どの駅も社会主義国の地下鉄のような裏ぶれた雰囲気。

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 無機質を絵に描いたような地下空間。

 

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改札口。
自動改札化で都会ではすっかり見かけなくなったスチール製の改札ラッチ

 

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丸がアクセントの出札口。

 

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令和だというのに伝言板

 

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ホームに水飲み場

奥にあるぺらぺらのベンチ、今でも備品は貴重かも。

 

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しかしゴミ一つない薄汚れた空間というのは何とも不思議だ・・・ 
綺麗に汚い。

 

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平成すらまだ訪れていないような雰囲気。

東洋人は時代を経て黒ずんだり錆びたりするもの、自然の手垢や時代の風合いのある器や建物を好んだり癒される傾向にあり、反面、西洋人は器でも宝石でもピカピカに磨いたものを好む。

てな事を谷崎潤一郎は陰翳礼讃の中で述べているのですが、この地下駅の寂れ具合にエモさを感じるのは日本人特有なんでしょうか・・・気になるところです。

 

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 ホームに電車が入って来ました。

前の駅を出たくらいからずっと音が聞こえているので、到着案内とかは不要です。

電車も古いからモーター音が大音響で響き渡り物々しい雰囲気に包まれます。

 

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「昭和」が形を変えて走って来ました。

ノスタルジックな外観の電車は東京の地下鉄の中古。

 そんな懐かしい長野電鉄に乗って郊外まで足を延ばしてみます。

 

北斎と栗の街、小布施

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 やって来たのは小布施という街。駅のホームがこれまた昭和で旅情が満ちていて素敵。

 

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小布施は栗で有名な街でもありますが目についたのはリンゴ畑の広がる光景

栗・リンゴ以外では晩年の葛飾北斎が晩年を過ごした街としても有名です。

 

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特に岩松寺というお寺にある北斎の天井画は必見なのですが写真撮影は出来ないので是非検索してみてください。「八方睨鳳凰図」という鳳凰の天井画で北斎が89歳の時に描いたものなのですが、修復などは一度もしていないのに今でも当時の鮮やかさを保ち一切色褪せておらず圧倒されます。

高頻度で住職の説明タイムが設定されているので、ふらっと訪れても十分満足できますよ。

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天井画は写真に撮れないのでもう一つの名物、岩松寺の山門の仁王像を貼っておきます。

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先ほどの善光寺の仁王像と比べるとほぼゆるキャラですが、見ていて和みますね。

 

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 小布施の中心街には北斎記念館や、名物の栗のスイーツを楽しめるスポットも多く賑やかです。

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コロナ禍ではありましたがGOTOトラベル絶賛開催中のタイミングで大賑わい。でも二週間後に長野で感染者が急増ってこともなかったので一安心でした。

北斎記念館にも行ったのですが、写真撮影禁止だと思ってカメラをロッカーに預けて鑑賞していたらどうも撮影可能だったみたいで歯ぎしりが止まりません。

 

お陰で小布施の紹介は内容ペラペラの薄いものとなってしまいましたが、伏線回収の為なのでご容赦下さい。

 

■小布施の対岸へ・一年ぶりの台風災害被災地へ。

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星印:赤沼=新幹線車両基地、長沼=千曲川決壊地点

小布施の西には信濃川が流れていて、橋を渡ると冒頭で紹介した台風の被災地、赤沼。長沼地区があります。自転車で来ているので一年ぶりに様子を伺いに行ってみました。

 

橋を渡ると先ず赤沼地区。

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大きなスーパーがありましたが、恐らく被災していてガランと抜け殻状態。

まだ営業が出来ていないようでした。

 

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活動した地域一帯は一見すると綺麗になっていました。ここは赤沼地区。

色々と話を聞かせて頂いたおじいさんの家も綺麗に片付いていました。その後問題無く生活できているかなどは分かりませんが少しだけ安心しました。

 

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水没した新幹線の基地もすっかり元通りのようでしたが、驚いたのは一年前に一面浸水した田んぼに稲穂が大いに実っていたこと。何事もなかったようにあちこちで収穫をしていました。

 

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無機質な新幹線の高架と変電施設をバックに実る稲穂。
一見、風情のかけらも無い光景ですが一年前を知っているだけに感慨深いものがありました。

 

次は堤防が決壊した長沼地区に自転車を走らせます。

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活動した場所が思い出せずしばらくウロウロしてしまったのですが、当時ボランティアセンターが開設されていた地域の集会所見つけることが出来ました。

 

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 濁流によって破壊された集会所ですが、当時もこの状態のままボランティアの活動拠点として使われていて、何百人ものボランティアや行政の担当者、サポートしてくださる地域の皆さんで溢れかえっていました。様々な人々が一丸となって活動している様が頼もしく、不謹慎な言い方かもしれませんが活気に溢れていました。

 

特に地域の皆さんは色々と大変なのにも関わらず、そんな素振りを微塵も見せず皆明るく、炊き出しの豚汁などを振舞って頂き頭が下がる思いでした。リンゴもたくさん差し入れて頂きました。

 

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写真を撮影していた地点のすぐ背後は千曲川決壊ポイント。集会所は目と鼻の先という位置関係なので激しく破壊されているのも納得。

 

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不自然な更地を見ると、かつてここには民家があったりしたのかなと思ってしまうのは東北の津波被災地を訪れた時と同じ。

自分たちが活動したリンゴ農家のお宅は残念ながら更地になっていたのですが、年末に年賀状が届き、前向きに再スタートをされたという事を聞いていたので、更地になっているという事は発展的な事なので前向きに捉えたいです。

 

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活動したリンゴ畑や周囲のリンゴ畑の殆どが青々としていたのは嬉しい光景でした。

 

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被災直後、足が抜けなくなるほど一面に泥が堆積していたリンゴ畑は被災したのが嘘のようで、リンゴも実りつつあり感動です。

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長沼地区にある「あぐりながぬま」という農協の直売所では収穫されたリンゴも売られていて、一箱購入させて頂きました。

その際に農協の人と少しだけお話させて頂きましたが、去年被災したのに翌年普通に収穫出来ていることは農家の皆さんにとっては信じがたい事であり、途方に暮れていた一年前が嘘のようで、ボランティアの皆さんに感謝しているという言葉を頂き、大変恐縮した次第。

一年前「幹の周りだけでも泥を除けばリンゴの木は死なない」と教えられ必死に作業した多くのボランティアの奮闘がこうして報われているのは本当に嬉しいのですが、遠方から参加してこの現状を知らないボランティアも多くいるはずなので、この拙いブログを通じて最後の写真と共に少しでも伝わればいいなと思います。

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 またリンゴを買いに伺います。