「外国みたい」と外国人旅行者に言わしめた美瑛〜富良野自転車行脚“2013”
こんにちは。
今年はどこも行かないし行けない・・・と覚悟していたのですが、来月(8月)にマイルが大量に失効する事を知りあっさり前言撤回。早めの夏休みを取り、昨年に引き続き自転車持参で北海道に行って参りました。
本当は釧路や稚内辺りに行きたかったのですが、名古屋からの直通が無かったので向かったのは旭川。もう何度も訪問したのですが、美瑛〜富良野周辺をのんびり走ってきました。
◆◆何度訪れても損はない相変わらず絶景の美瑛の丘◆◆
4回目の美瑛ですが何度来ても“ここが日本なのか”と思ってしまいます。
至るところにWindowsのデスクトップ画面のような美しい丘が・・・・
7月の3連休という、一年で最も混雑する時期に訪問したのにも関わらず、昨年宿泊した宿のご主人に教えて貰った“観光客が殆ど来ない”絶景ポイントをずっと走っていたので、美瑛では他の観光客と遭遇する事は殆どありませんでした。
晴れていれば正面に雄大な旭岳を望めるのですがちょっと雲がかかってしまいました。
それでも素晴らしい眺めです。
この辺りは丘陵地帯の尾根伝いにずっと道が伸びていて、正面は旭岳、周囲は一面美しくうねる丘陵地帯、見上げれば青い空と白い雲。感じる奥行きと立体感が普段目にする日本の自然とは違って圧迫感がまるでない。
観光客が訪れるエリアだったら絶対に人々が群がっていただろう名も無き木。
こんな光景が次々に現れてキリがない感じでした。
この辺りは各地の種芋となるジャガイモを栽培していて、靴底を介して害虫や病気を持ち込まれると影響が美瑛意外にも及ぶ為に観光マップには載っていないのだと立ち寄ったカフェのオーナーが言っていた。でも絶対に立ち入ったらいけないという訳ではないので、自転車で走る分には問題なく、ただアスファルト以外の部分には入らないほうがいいとの事でした。
美瑛はJRを境にして市街地の反対側のエリアにマイルドセブンの丘やケンとメリーの木など、かつてCM等に登場して有名になった絵になるスポットが集中していて、その反対側に観光客にあまり来て欲しくないエリアがある事から、観光客可なエリアに〇〇の木や■■の丘といった鑑賞ポイントを設置し、デリケートな農作物を栽培しているエリアに観光客が向かわないようにしているのではないかと思いました。
少し走って、昨年もおとずれた秘境カフェ“ries cafe”
周りに何もないところにポツンとあって本当に気持ちのいい空間でのんびり時間を過ごす事が出来る。たまたま在店していたオーナーは自転車にも造詣が深く色々な話を聞く事ができた。
昨年に引き続き激しくお薦めしたい名カフェです。
カフェのすぐ近くにある五稜の丘周辺も観光客が訪れない絶景ポイント。
ここは観光客が来られたら困るとかではなく、大型のバスとかが入れないのであまり人が来ないらしい。
美瑛の美しい丘の光景をちょっと高いところから見下ろす事ができ心の中が浄化される感じです。
ずっと坂道を登ってきたけど、疲れとか全く感じなかった。脳が疲れを感じる以上に絶景が与える感動が疲れを麻痺させてくれます。
さっきまで雲にかかっていた山々がちょっとだけ姿を現しました。次回は登ってみたいです。
◆◆何があるのかよく分からないけど富良野に行ってみた◆◆
日を改めて、富良野にも足を運びました。
しかし、富良野って知名度は抜群だけど正直何があるか分からないというか全貌が見えてこない感じ。
富良野と言えば?と問われれば“北の国から”か“北海の荒鷲こと松山光(キャプテン翼のふらのFC主将)”くらい。
早く着きすぎて宿にチェックイン出来なかったのでぶらぶら走っていて、たまたまたどり着いたローカル線の駅は“北の国から”で田中邦衛親子が最初に降り立った駅であった。
広い構内ではあるけれど、日に数本しか列車がやって来ないローカル駅・・・・
北の国からは菅原文太が出た回と岩城晃一が死んだシーンくらいしか印象に無いので特にこれといった感情は湧き上がってこないのですが駅でボーっとしている間にも何人か観光客が訪れていたので北の国からが好きな人には欠かせないスポットなのかもしれません。
その後しばらく富良野を走っていました。
美瑛に比べたら特長に乏しい景色なんですが日常目にする雑多な光景と比べれば充分絶景です。
ries cafeオーナーが「富良野の街は碁盤目状で自転車で走っても景色が代わり栄えしなく退屈かもしれないので鳥沼という地区から山を登るとイイかも」とおっしゃっていたので翌日頑張って登ってみました。
富良野の街を見下ろしながら頑張って登る
登りきるとヨーロッパの高原のような光景が広がっていてとても気持ちが良かった。
後で知った事ですが、この辺りは北の国からのロケが頻繁に行われていたみたいで、岩城晃一の農場も走って来た道沿いにあったらしく、道中目にしたどこかの畑で、草太兄ちゃん(岩城晃一)がトラクターの下敷きになって死んだのかと思うとちょっとだけ感慨深かった。
※何故、北の国からをあまり見ていないのに、やたら岩城晃一が印象に残っているかというと、彼がトラクターの下敷きになって死んでしまった直後のCMが「でっかく行こうぜ」と岩城晃一爽やかに叫ぶの某車のCMだったから。そしてCM明け、岩城晃一の葬式という恐ろしくタイミングの悪いこの一連の流れが印象的で、肝心のストーリーは覚えていないのです。
富良野の町は平坦で特に特徴は無かったけど、一山登ったこの辺りは本当に広大でやや美瑛のような感じで、畑の彩りがとても眩しかった。
今回目にした中で最もふかふかな感じだった畑。ビールの原料を栽培してるみたい。
何も無かったけど走っていて風が気持ちよく、それだけで充分満足だった富良野の奥。
その夜、同宿になったデンマーク人が、同じようなルートを観て回ったらしく「外国みたい」と言うだけあって素晴らしい景色の連続でした。
戸隠の参道を歩いて感じた古代日本の信仰とAKB
別件で長野に来ていたのですが、用事も早く終わり真っ直ぐ帰るのもシャクだって事で足を運びました。
以前観光ポスターで見かけた、荘厳でもののけな雰囲気漂う杉並木の参道を歩いてみたいと思っていたのですが、それが戸隠のどこかもよく分かってなくて、車を走らせながら色々調べるよう有様でしたが、それは戸隠神社の奥社に続く参道である事が分かりました(そもそも戸隠の位置もよく分かっていなかった)。
奥社の入り口は神社仏閣が立地するシチュエーションにしては不相応な高原の避暑地といった雰囲気。
ここから、目指す戸隠神社奥社までは片道2キロほどあるので、そこら辺の神社にお参りするのとは違ってそこそこ体力が必要です。
高原の林の中を真っ直ぐに伸びる参道は、参拝ではなく、まるでトレッキングに来たかのような気分にさせてくれます。
遠くでカッコウが鳴き、天気は曇りがちだけれども新緑は美しい。
戸隠に到着したのは15時前だったので“ちょっと遅すぎたかな”と思ったけど、まだまだ多くの人が奥社を目指して歩いて行きます。
戸隠周辺は古代から霊場として知られ、修験者が厳しい修行を行う地であった訳ですが、近年、とりわけここ数年は“パワースポット”という便利な言葉が流行った影響もあり多くの人々が訪れ賑わっています。
パワーにありつこうと必死で欲深い人々がこんなに大勢いたら、パワーの取り分が減ってしまう・・と内心ちょっとがっかりした訳ですが、そんな己も“欲深い人々”の末席にしっかりと名を連ねている訳なので実に勝手です。
そんな煩悩まみれな身ではありますが、林の中を真っ直ぐ続く参道は本当に爽やかで幾分心が洗われる感じです。
まるで俗世間と神々の世界との境目であるかのような光景が山門越しに伺えます。
まるで別世界へのどこでもドアと行った感じ。
観光客がいる事でむしろ杉並木のスケール感が伝わるかと・・・・人間がまるで小人ようです。
しかし、素晴らしい眺め。さっきまではマイナスイオンにまとわれていたような雰囲気だったけど、随神門から先は明らかに違う空気が張り詰めていて圧倒される。
この杉の木は今から400年前に植樹されたようで戸隠神社の歴史に照らし合わせると割と最近のこと。案内によると17世紀に幕府から領地を拝領した際に植樹して一山の威容を整えた・・・とありました。
「国有地ゲットしたから見栄えよくしようぜ」って事だったんだと思います。
奥に進むにつれて勾配がきつくなりますが目指す奥社はもうすぐです。木々の向うに、いにしえから人々が信仰を続けてきた独特な形状の戸隠山が見えています。
狭隘な立地にいくつか社が建っていて、最上部にあるのが“奥社”。背後に険しく聳える戸隠山がとても印象的です。
豪華な社殿がある訳ではありませんが、シンボリックな戸隠山が社殿代わりなんだと思います。
戸隠の山頂は霞がかかっていたのですが、時折青空が覗いたりと気まぐな様子。 社務所の人に不審がられるくらいにずっと見つめていたのですが、本当にパワーを感じる姿をしていて圧倒されます。
■■戸隠を語るには避けて通れない天岩戸伝説をざっくり説明■■
戸隠山には日本神話で言い伝えられている天岩戸伝説と深い関係があります。それはこんな話。
太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩の中に引き篭もってしまい世界中が暗くなってしまいました(色々むしゃくしゃする事があったよう)。困った神々達はあの手この手で天照大神を外に出そうとあれこれ思案します。
すると、ある神様が滑稽な踊りをし、それを見ていた神々が一斉に笑た為、笑い声を聞いて訝んだ天照大神は岩の扉をちょっと開け外の様子を伺いました。その時、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)といういかにも力持ちそうな神様が岩の扉を投げ飛ばして開け天照大神を外に引きずり出した・・・・
その投げ飛ばされた岩の戸が落下して山になったのが戸隠山という、何とも豪快なエピソード。
だいぶ端折りましたが古事記も日本書紀もだいたいこんな感じです。
天照大神が引き篭もってしまった天の岩戸は宮崎県の高千穂にあるとされ、神々が集まって相談した場所も神話上では同じく高千穂にある天安河原という事になっています。
そこからでっかい岩の扉が飛んで来て落っこちたのが長野って何だか凄い。
交通網も情報網もまるで発達していなかった時代に高千穂(宮崎)と戸隠(長野)を関連付ける伝説を造り上げる・・・・それは古代の日本で行われていたタイアップキャンペーンのようで興味深いのです。
この手の話はだいたい世界中にあって、それは殆どが日食を現すと解釈されている。古代の人々が恐れる日食という現象を人々の信仰の為にストーリー仕立てに仕上げプロデュースした・・・何かそんな感じがします。
あった事をそのまま伝えるのではなく、物語として色付けをする事で後世まで伝える事が出来るし、人々を煽る事が出来る。そんな考えをもったプロデュース力に長けた人がいにしえの時代にもいたのでしょう。
そういえばアイドルって偶像って意味だし、秋元康が次々にアイドルを世に送り出し、秋葉原をアイドルおたくの聖地にしたのって、日本神話から様々な言い伝えや信仰が生まれたのと同じ構造な気がします。高千穂が秋葉原なら、神話に登場する八百万(やおろず)の神はまさしくAKB。
そのムーブメントは高千穂だけにとどまらず日本各地に拡散し、天岩戸伝説は戸隠だけでなく伊勢や京都、四国など西日本を中心に各地に伝わる・・・それはまるでSKE48やHKT48のように。
そして天照大神は不動のセンターだった。
そうなると高千穂に伝わる有名な夜神楽はAKB劇場?
何だか話が飛躍したというか、宗教を俗っぽく例えてバチがあたりそうですが、信仰って要はそういう事なんでしょう。戸隠の参道を歩きながら「AKBとおなじだ・・・・」と思っていた訳ではないんですが、あまりにも素晴らしい雰囲気だったので帰ってからも余韻に浸りイロイロ調べるうちに、相変わらずの着眼点ずれが生じてしまったみたいです。
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帰り際に、戸隠山が綺麗に見えるポイントがないかとキョロキョロしてたんですが大望峠というところから綺麗に戸隠山が見えました。ちょっとサイド気味なので、山頂の険しい感じが幾分和らいだ印象ですが、古代から人々に神々しい印象を与え続け、山岳信仰を生んだその姿は本当に迫力のある姿でした。
じっくり時間をかけてまたいつか訪れてみたいと思います。
自転車で行く。奥三河&東濃地方のカオスでマイナーで絶景なスポット等々。
なんだかどこか遠くに旅をしないと更新出来ないような雰囲気だった拙ブログ。残念ながら今年に入って盛大に出掛けていないので記す事もあまりないなー・・・と思っていたのですが、最近(ほんとここ一ヶ月)個人的に空前の自転車ブーム到来で、休みの度に愛知県の山中深くに自転車で侵攻しております。
一日休みがあれば100キロ以上、半日空いてたら近場を50キロ近く走っているのでこの一ヶ月の走行距離は約1000キロという異常事態。そんな自転車生活をちょっと記しておきます。
◆◆ダムを目指して走る。ツールド矢作川。
よく走るのは名古屋から一山超えた豊田市の矢作川沿いを上流まで登っていくコース。ロードバイク自体は数年前から所有していたのですが、コンスタントに乗れなかったせいもあり、この矢作川に辿り着くまでの山超えルートを“走らず嫌い”でずっと避けていたんですが、思い切って登ってみたら思いの他走れてしまって最近は頻繁に訪れています。
とはいえまだまだ自転車初心者。ずっと川沿いに走れてしまう矢作川沿いのコースはアップダウンが少ないのが何よりも魅力。長閑な景色が広がる中をたまに寄り道しながら気持ちよく走れてしまいます。
自宅から50キロ程の地点に行くとちょっとした登りもあるのですが、愛知県とは思えない秘境感すら漂う光景を見ながら走るので感じる疲れもそれほどではありません。
ダムの放水を目にした時の感情の高ぶりは一種のエクスタシー。こじんまりとしたダムでもテンション上がります。ちなみにこのダムは矢作第二ダムといいます。
第二があるなら第一も当然ある訳ですが。
体力に余裕があるときは一周12キロのダム湖を走ったりします。
愛知県豊田市とは思えない、まるで北海道の山奥を走っているかのような雄大な景色。
だーれもいない・・・と飛ばしているとカモシカと遭遇。至近距離で見つめ合う。貴重な体験だけどカモシカが登場するくらいなので熊登場もありえるのでは?思うと緊迫します。
愛知県離れした雄大な景色広がる矢作ダム周辺。脱愛知気分を味わうには最高なスポットでした。
名古屋から一山超えて矢作川沿いではなく、そのまま直進するとこの辺りでは有名な足助という街があります。綺麗な川沿いに古い街並みが続いて趣があります。
この度の自転車活動では忙しなく通り過ぎただけなので今度はゆっくりと訪れてみたいと思いました。
足助の中心部のすぐ近くには有名な景勝地である香嵐渓もあります。
紅葉で有名なスポットなので山奥にあると思っていたら市街地のすぐ横、割とロードサイドな立地なのは意外でした。
新緑が眩しく、わざわざ激混みの紅葉シーズンに訪れるなら今頃に訪れるのがいいと思います。
◆◆廃止前に乗ってみたかった、絶好の休憩スポット廃駅巡り。
香嵐渓から名古屋方面に戻ると廃線跡があり当時の駅がそのまま残っています。
名古屋鉄道という大手私鉄の路線ながら廃止になってしまった西中金駅跡。あと少しで観光地の香嵐渓があるのに非常に中途半端な形でここが終点。本当は延伸するつもりだったんだろうけど諸般の事情で線路はこの駅で途切れたまま廃止の運命。夢やぶれた感じは、終着駅というよりは中間駅のような西中金駅の立地や不自然に途切れた線路の様子からも伺えます。
廃止になったのは比較的最近なので、当時に近い姿を保っているので今にも列車がやって来そうな雰囲気。
駅舎内にはヤンチャ仕様の自転車。今にもヤンチャな所有者がやって来そうです。
飾られていた路線の説明年表を見ると、この路線の歴史は波乱万丈な感じでした。
一応、愛知県の何とか文化財に指定されてるようで今後も取り壊されずに保存されるんだと思います。
西中金駅の隣の三河広瀬駅跡も絶賛保存中。自転車乗りからしたら、休憩ポイントとして最適なのでこういう取り組みはとても有り難い。
廃線前に乗ってみたかったです。
その隣の枝下駅も取り壊されずに残っています。
この枝下駅前の交差点を西に向かうと一山超えて名古屋。
散々走って最後に延々登るので最初は辟易していましたが、通ううちに楽に走れるようになるのがちょっと嬉しかったりします。
◆◆愛知県を越えて岐阜県へ。大正ロマンの香り漂う明智の街とカオスな喫茶店。
矢作川を更に上流に向かうと岐阜県恵那市の明智という街があります。最近はこの街まで走るのがマイブームです。矢作川沿いに走ると最後の登りがしんどいので、愛知県の瀬戸市を経由するルートで行きますが、瀬戸市経由でもそれなりにアップダウンがあるので体力不足を痛感しつつ頑張って走ります。
途中、日本一の狛犬なるものがあり、自転車乗りの休憩ポイントとなっています。
ここまで来ると明智も近い。
「大正村」と呼ばれていても「明治村」のように有料の施設ではなく、街の中に古い建物が点在する明智の市街地を包括して大正村と呼んでいる。
ただそこまで観光地化されている感じでもなく、正直、大正なのか昭和なのかよく分からない。けど嫌いじゃない雰囲気。
明智の街に素敵な喫茶店があると純喫茶好きの友人から聞いていたので行ってみました。
木造旅館に併設されたアミーという喫茶店。入口にレーザーディスクの看板が出ているので何だかスナックみたいで怪しい。
よく見るとティー、バー、スナック、レストランと書いてあって本業は何かよく分からない感じ。
地下に入っていく構造の入口は独特な雰囲気
壁面の水玉&縦じま、謎のエジプト風イラスト。
バーのようなカウンターで地元の常連さんが串カツを食べていて居酒屋のようでもあって、看板通りとにかくカオス。
店のおばさんは気さくでとてもいい人でしたが、愛知岐阜では必須のモーニングサービスが無いようでした。
◆◆男の建造物ダムpart2
明智まで行くと名古屋まで往復120キロコース。ただし往路とは違うコースで帰ります。
遠くに見える観覧車を目指して走っていたら巨大水車でたまげました。
矢作ダムほどのスケールではないけど、無料で内部に入れ、更にエレベーターで下まで行けるという懐の深さ。
ダムニストにはたまらないダム内部。と様々な展示。
16時までにエレベーターに乗らないと帰れなくなるという重要な告知がとても控え目で、このホスピタリティ精神の無さもさすが男の建造物!容赦無い感じで潔い。
そしてエレベーターを降りて待っていたのは圧巻の眺め(写真では伝わらない)。
ダムとしては小ぶりな部類にの方なのの結構な迫力(写真では伝わらない)。
何だかパワーを貰って、帰りは、このまま興奮状態で一気に名古屋へ向けて帰る事が出来ましたとさ。
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こんな感じで、名古屋周辺の山中にはあまり知られていないけど興味深いスポットが色々あって捨てたものじゃない感じです。体が軽くなれば自転車で登る体力も次第に付いてきて行動範囲も広がります。これからも頑張って山中奥深く攻め入っていずれは長野県ぐらいまでは侵攻したろうと企んでいます。