那覇の路地裏をひたすら歩いた話
◆◆那覇寒い
那覇をウロウロして来ました。
着いたのはもう夕方だったんですが、思いのほか寒かった!
女子高生はマフラーしてるし、皆すごい厚着している。
とりあえず今後の移動日程等を調べにモノレールに乗ってバスターミナルへ
しかし、2階の通路がバスターミナルに来たとは思えないダークな雰囲気・・・余計寒くなりました。
◆◆那覇の路地裏を歩こう
バスターミナルから宿まで歩いていたらすっかり日も暮れて来ました。
ここ数年は那覇に泊まる事が少なかったので夜の那覇は久しぶり。
寂れた感のあるバスターミナルにいたので国際通りのキラキラ感が眩しい。
ちょっと脇に入ると、まるでアジアの路地裏のような素晴らしい光景。
歩いても歩いても飽きる事が無い!
食べてばっか。でもどこも安い、美味い、多い。
4年前にゲストハウスの人から“いつなくなるか分からないから早く行った方がいい”と言われて皆で見物に行ったものの、いまだ健在な農連市場周辺は相変わらず素敵な雰囲気。
http://d.hatena.ne.jp/takagikofu/20091122/1258900334
こちらにも少し農連市場の事が書いてます。
◆◆戦後の沖縄を支えた誇り高き抜け殻。栄町市場。
農連市場から1キロほど歩くと安里という街があるんですが、ここにも素晴らしい脱平成な市場があるのでご紹介。
栄町市場といって、戦後のどさくさに紛れて建ててしまい今に至ってしまったような感じで、素晴らしく怪しい雰囲気(市場といっても小さな店がいくつもあつまったアーケード)。
足を踏み入れた時はちょっと怖くて(商店街なのに)、進んでいくと暗くて狭くて、かと思えば突然光が差し込んだり。道端に何かの千切りだけを売ってるおばぁがポツンと座っていたり、黙々ともやしのひげを取ってるおじぃおばぁもいる。
そんなおじぃおばぁが、戦後の貧しかった時代に皆で寄り添って、いっぱい集まったから屋根繋げて、協力しながら細々営業してたらたまたま2011年だった・・・なんかそんな感じ。
ちなみに栄町市場のある所に戦前何があったかというと、沖縄県女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校という学校があったそうです。これらの二校は戦時中、従軍して負傷兵に看護にあたりつつ、多くの生徒が犠牲となった“ひめゆり部隊”の生徒が所属していた学校であまりにあも有名です。自分も足を運ぶまで気付かなかったんですがたまたま撮った写真にに同窓会事務所の看板が写っていてこの件を知りました。
師範学校は今で言う“教育大学”第一高等女学校も名門校だったっようですが、多くの人々の想い入れが残るこのような場所に大衆的な市場に取って変わったという事に、戦後沖縄の復興がいかに困難で、正にゼロからの出発であったのかが伺い知れる様な気もします。
今では抜け殻のようになってしまったけど、草木も残らない焼け野原から目覚しい復興を遂げた沖縄の人々にその活力を与えていたのは間違いない事実で、そう思うとボロボロのバラックみたいな市場もどこか誇らしげに見えてくるなー。
◆◆路地裏あれこれ
那覇の路地を歩いていると、妙な看板やお店があちこちにあってのんびりできません。
こんな感じで歩いてるだけでひたすら突っ込んでいられる那覇の街角でした。
次回は感受性が問われる久高島や世界遺産の斎場御嶽の事を書きます。
今回止まった宿