義胡府国風土記~旅と外出~

5年間放置していました

陸前高田の踏切跡で見た、かつての日常の痕跡等々・・・

5年ぶりの復活という事で古い話を掘り起こす事が多くなってしまいますが、昨年の7月に陸前高田に行って来た事を書き記しておきたいと思います。

 

2018年7月某日・・・

陸前高田に向かうBRT

陸前高田に向かうBRT

東日本大震災における津波で甚大な被害に見舞われた陸前高田。この街へ向かう鉄路は復旧を諦め、線路跡をバス専用道に転換したBRTという交通システムで向かいます。

 

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道中の車窓は山越えのルートがメインで震災の被害を目にする事はあまりありませんが、山を越えると所々に遺構や津波への注意を促す看板などが目に付くようになります。


陸前高田を訪れるのは初めてですが、今から15年近く前に三陸海岸沿いを仙台から青森まで北上した際に列車で通りすぎた事があります。道中、気仙沼、大船渡、釜石、久慈など様々な街を通過しましたが、それらの街の記憶は忙しなく乗り換えた駅のホームとか駅前のロータリーくらいなのに、何故かただ通り過ぎただけの陸前高田の記憶が微かに残っている事が今回足を運んでみようと思ったきっかけだったのかもしれません。

 

とはいえ、陸前高田駅は緩いカーブの途中にある駅だった事、一つか二つ先の駅で降車に手間取るお婆さんの荷物を下ろしてあげた事・・・それくらいの記憶しかありません。気仙沼で列車を乗り換えた時に席を確保出来ず、運転席脇のドア近くでボ~っと前面の展望を眺めていたから・・・ただそれだけの事です。

 

■何もかもが流されてしまった陸前高田の街跡を歩く

陸前高田

 

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初めて降り立った陸前高田の街。拙い写真では全く伝わりませんが、バスを降りた瞬間の空の広さは恐らく一生忘れる事が出来ません。

 

延々と広がる更地、ほこりっぽくて黄色い乾いた土の世界。津波に根こそぎ流された街の奥でそびえる山の姿が妙に威容に感じたり・・・15年前の記憶と、今こうして目の当たりにしている光景でリンクするものは何一つありませんでした。

 街が丸ごと消滅する事の恐ろしや虚しに焦点をどこに合わせていいのかすら分からない・・・そんな気持ちになりました。

 

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ここに街があった事すら気が付かずに通り過ぎていく車も少なくないかもしれません。

  

奇跡の一本松

歩いてしばらくすると有名な奇跡の一本松がありました。

陸前高田の象徴である美しい松原はたった一本の松を残しただけで消滅し、残った一本も今はレプリカ。

レプリカであれ、一本だけ残ったこの松は、津波の威力、高さ、恐ろしさを後世に伝え、失われた街の再生に挑む陸前高田の矜持のようでもありました。


周囲は防潮堤工事に出入りする大型ダンプが頻繁に通り過ぎていく。

陸前高田ユースホステル

防潮堤

 陸前高田ユースホステル跡とすぐ横で建設が進む防潮堤。奇跡の一本松はこちらのユースホステル跡にあり、建物の影響で幾分津波の勢いが弱まり一本だけ残る事が出来たと言われています。

 

岡本セルフ陸前高田

一本松を後にすると津波の高さを示すガソリンスタンドの看板が・・・
松の木をなぎ倒して迫る津波の高さはあの看板を覆うところまで達した。

遥か頭上に示される矢印の説得力の高さが恐ろしい。

 

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陸前高田の市街地はは他の被災した主要な街に比べ、人口密集地が海寄りで比較的平坦なように感じます。中心部に高い丘等がある石巻のような街では縦方向への非難の可否に生死の分かれ目が存在していましたが、縦方向への非難が難しいこの街は生死の分かれ目さえも希薄で、容赦なく多くの方々の命を奪ってしまった。


文字にするのも躊躇われる陸前高田の惨状は、風光明媚な松原と砂浜が広がる美しい地形風土が招いたかと思うと本当に自然の摂理というのは無情なものです。

 

■かつて通り過ぎた鉄路との邂逅

陸前高田踏切の跡

かつての踏切の跡

歩いていると震災前の道路がそのまま使用されている区間があり、ある所で車がスピードを緩めているのが気になりました。舗装が荒れているからかなと最初は思ったけれど、近づいてよく見るとそれは踏切の跡。


殆どの車は線路の凹凸で車が弾むのを気にして減速しているのだと思うけど、気になって眺めているとその減速という行為自体がかつての日常の痕跡のように感じました。

 

たまたま下を向いていてアスファルトに埋まった線路に気づき、たまたまやって来た車の何気ない減速から気が付いた、遮断機も警報器も無い小さな踏切の痕跡。

 

見過ごして素通りしてもおかしくなかったのに「かつてここに列車が走り、すぐ近くには駅があって、当たり前の様に人々が暮らしていた。そして15年前にお前はここを通過していった・・・」誰かが教えてくれたような不思議な邂逅でした。

 

そして少し先の駅で荷物を下ろすのを手伝ったお婆さんの事を思い出しました。

 

震災遺構として保存が決まった数件の建造物以外かつての市街地の名残を留めるものは極めて少ないこの街で、「踏切でスピードを落とす」という日常の痕跡が過去の街の面影をかろうじて今に伝えているようで、このままこの踏切が嵩上げによって埋められてしまうのはなんだか惜しい気がしてなりませんが、それはよそ者の勝手な感傷なので仕方がありません。

 

少し高台に移動して眺める陸前高田の市街地跡・・・
訪れてから1年経つのでもうあの踏切跡は既に土に埋もれてしまったかもしれません。
多くの方が亡くなった悲しい思いも、美しい記憶も、埋められてしまうと思うと切ない気にもなりますが、広大な造成地のようなこの光景は一見殺風景なのかもしれませんが世界で一番頑張っている街の挑戦する姿であり、陸前高田に限らず東北沿岸で延々と続く「もういちど街を作り直す」という光景は世界に誇るべきもので、今、日本人が見ておくべき光景ではないかとも思いました。

 

綺麗に復旧された地区では今まで目にした光景とは対照的な雰囲気で明るい兆しも随所に見受けられました。復興には清濁色々あり色々と困難も待ち受けているかもしれないけど、またいつかこの街がどうなったかを確かめに訪れたいと思います。陰ながら応援しています。